書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

私は夏休みの宿題をとっとと終わらせる子どもだったので

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夏休みまっただ中。

そんななか、夏休みの最後の日に宿題に追われる子ども、ってのがステレオタイプで、

あるべき子どもらしい姿みたいな概念が底辺にはありますが、

果たしてそうかな?

(そもそも、子ども=無垢、ってのはまったく違うと思う。

 そんな単純じゃなく、子ども時代の私は、いろんな感情が深いところでとぐろを巻いていた記憶。

 なので、年齢を重ねるほど、素直になり、人生がラクになっている気がする)

 

私自身はとっとと宿題を終わらせる子どもで、

何だったら宿題をもらったその日に済ませたかった。

 

エリアや時代によって違うけれど、私が小学生のときは、

毎日(この毎日ってのがポイント!)何ページかをこなし、

夏休みの間に1冊終了させる“夏休み帳”ってのがあって、

これを一気に終わらせたかったのだけれど、登校日ってのがあり、

その日に進捗状況を学校に見せるんですね。

なので、登校日までの分しか進められなかったのが、すごいストレスでした。

 

というのも、毎日コツコツやることが“夏休み帳”の目的のひとつなわけで。

ある年、登校日に “夏休み帳”をすべて終わらせていたクラスメイトがいて、

それを担任がほめたんですね。

で、私は心の中で「ねえ、あなたは、本心はともかく、毎日コツコツをすることを教える立場でしょ、その態度は違うんじゃない」と眺めていたという。

 

 

勉強が好き、というよりも、

目の前にあることにすぐにとりかかりたい、どんな問題がのってんだろうって好奇心が強かったんだと思う。

なので、学年があがって、教科書をもらって帰るとき、

国語の教科書とかは本という認識だったから、早く読みたくって家まで待てない、ってタイプ。

 

もうひとつ、目の前のことをとっととやっていた理由は、こづかれたくないから。

あれこれうるさいことを言われたり構われたりするのが、うっとうしくって仕方なかった。

やることやってれば文句ないでしょ、ってなもんで。

学校の算数の時間が顕著で、問題をはやく解きさえすれば、やることやっている限りは、咎められなかったので、さっさと済ませて、自分の世界にどっぷり浸かり思考を巡らせていました。

(今にして思えば、哲学につながる数というものにすっかり心を奪われていて、0(ゼロ)とはなにか、有か無か、3とはどういう数字なのか、みたいなことをぐるぐるぐるぐる考えていたのです)

 

まあ、いろんな子どもがいるもんです。私はしんどい子どもだったなぁ。

ダイバーシティを言うのであれば、子どもにもいろんなタイプがいるってことで。