書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

書くこと自体は時間かかんないんだけどね

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ライティング(執筆)も私の仕事の一部で、

コピーライティングやタイトル命名の短いものから、メニューやアイテム、店紹介、調理や製菓技術、経営などを掘り下げてきく話、

ルポルタージュ(調べもの)や書籍1冊の聞き書きまで、

出版からウェブ、広告まで、

あれやこれやとやっているわけですが、

つくづく書くこと自体は、全体の作業のせいぜい5%ぐらいってのが実感。

ricorice.hatenablog.com

文章の長い短いは関係なくって、

頭の中の樽にぽいぽいと素材を入れてじっくり熟成させる時間が必要なのは、

短いものとルポルタージュ(調べもの)。

というのも、紹介記事や聞き書きと違って、素直さが低いから。

ひねるにしろ結果としてストレートにいくにしろ、構成とか言葉選びとかでうんうんうなってしまう。

 

 

おもしろいもので、熟成させているときに“引き上げるのは、今!”って瞬間があって、

そのタイミングを逃さずに、一気にガーッと書き上げるのが私のパターン。

とにかく熟成が終わったものを早く外に出す、って感じで、

てにをはの間違いや固有名詞や年代など事実関係の整合性をとるはその後。

 

熟成は主原料となるもののほかに、途中途中で様子をみながら、

補足資料などの副材料を入れて、バランスをとっていく。

そのときって、文字通り、頭の中で熟成させているんですよ、これが。

 

論理的な組み立てってのは私の場合しないので、筆の赴くまま。

書いていくうちに思わぬ着地点や話の強弱や取捨選択があって、

これに毎度ながら我ながら驚く。

 

 

早い段階で“今だ!”の瞬間が来るってことはなくって、

たいがい締め切りには少しの余裕がある段階。

やっぱね、ある程度熟成が進まないと、複雑味のあるものはむずかしいのだよ。


書いているときは自分の体がマシンと化している。

脳とタイプする指が直結しているイメージで、そのスピードは速い。

それまでの熟成のための材料集めと、いったん書き終わってからの推敲や校正/校閲作業ってのに、書くことよりもずっとずっと時間がかかるんですよ〜。