書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

アンゼリカ(東京・下北沢)閉店と記録に残すということ

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知り合いのパン屋さんのFB投稿で知りました。

50年続いた東京・下北沢のパン屋さん「アンゼリカ」が今月末、7月31日をもって閉店。

1990年代、よく行きました、私。

togetter.com

池波正太郎が行った店だそうですが

池波正太郎と味覚が違うし、そもそも時代も大きく違うし、何で今もあんな(必要以上に)崇められてんの?)、

私がアンゼリカの存在を知ったのは高校生のとき。

石坂浩二がFMラジオの深夜番組かなんかで「アンゼリカ」のカレーパンのことを、

聴いているとよだれが出ちゃうようなイメージを駆り立てる、

それはそれは軽妙なおしゃべりで紹介していたんですね。

もう食べたくて、食べたくて!

 

特にメモはとらなかったんだけれど、頭にはしっかりインプットされ、

世田谷区民となった1990年代、三軒茶屋を拠点に動いていたので、

下北沢は近く、しかも「アンゼリカ」はわかりやすい場所にあるので、

初めて下北沢に足を踏み入れたとき、あっ、ここ、石坂浩二の番組で言っていた店だ!と入ったわけです。(当時、1990年代に入ったばかりの頃はまだネットなんてない時代です)

 

水森亜土ちゃんのイラストのキャノピーに山小屋風の店。

カレーパンと、あれとこれと。

「アンゼリカ」はカレーパンとみそパンで知られていますが、

私がダントツに好きだったのは、店内入って左手奥の棚の下の方にあったバナナパン(ブレッド?)。

ハーフパウンドぐらいのアルミホイルの型で焼かれた、クルミ入り。当時500円だったと思います。

学生には高いけど、ボリュームもあり、束の間の贅沢。

 

そうして、下北沢で用事があったりぶらぶらしたあとに、「モルディブ」のコーヒー(No1ブレンド)を買い、「アンゼリカ」のバナナパンを買い、がおなじみのパターンとなりました。

 

 

2000〜2001年の渡英から戻り、しばらく実家で社会生活へのリハビリ期間を経て、

再び東京で暮らし始めたとき住んだのは文京区千駄木

ふらっと気軽に、の距離じゃなくなったんだな。

それでも下北沢に行く機会があれば「アンゼリカ」を訪ねたり、店の前を通って存在にほっとしたり。

 

 

そんななか10年ほど前、パンの企画で「アンゼリカ」を取材する機会を得ました。

私、仕事柄もあり、お店をほとんどリピートしません。そこまでの余裕がない。

個人的に気がつけば何度も行く店は、味云々よりもまずは、気持ちが落ち着くというか相性というか、ね。

さらに、どちらかというと、パンの技術や材料、店舗づくりなど専門寄りの取材をすることが多く、となるとアルチザン系のパン屋さんが対象になることが多かったので、ほんわか街のパン屋さん系はチャンスが少ない。

期せずの企画で、うれしさひとしおでしたね。

 

そのときの取材は、確か、看板メニューのカレーパンを主軸にしたものだったと記憶しています。

え〜っ、え〜っ、え〜っ、と驚くほどの細やかな工夫がなされていて、

でも、誌面の都合上、またそれを仔細にレポートするスペースはなく(原稿用紙半分あったかなかったか(200字)だったかと)。

でも、それは全体のバランスなどを見ると当然のこと。

取材した内容はそれなりにボリュームがありながら、掲載にあたり削ぎ落とします(私は、この“捨てる”ことが編集工程の肝のひとつだと思っています)。
明文化するために、目に見えない内容を聞かないと、上っ面だけの浅い内容になっちゃうんですよね。

 

 

今回、「アンゼリカ」閉店のニュースを聞き、はっとその取材でいろいろ聞いて教えてくださった内容が次から次へと思い出され、

そうしたら、ちゃんと文字化してくださっていたところがあったんです。

「パンラボ」のこの記事がそれ(↓)。

アンゼリカ(下北沢) | パンラボ

 

私が取材でうかがったとき、これとまったく同じ内容のことを話してくださったんですよね。

びっくりしました! 内容もですが、こんな風に看板商品の秘密をオープンにしちゃうんだ、ってことも。

・もとはドイツパンをやってらしてそれがベースになっていること

・夏と冬でカレーの質を変えていること

・スパイスや果物といった副材料について
ご主人はいかにもパンおじさんといった風貌の方で、とてもていねいにお話しくださいました

(そのときの恰好、白とブルーのストライプのズポンに長いエプロンをかけてらした姿も覚えています)

 

この「パンラボ」の記事も本にまとまったときは、ひと言だけ。

ウェブの膨大な量をまとめようとすると、こうなっちゃうよね。

 

 

20年ほど前だったか、メディアもようやくネットに取り組むようになり、

そのとき、ある雑誌の編集に携わっていて、ネットに積極的だった人の発言。

「ネットのいいところは、荒削りでもすぐにアップできる。そして制限を気にせず、取材内容をすべて掲載することも可能だ。こっちが発信したいことと、それそれの読者が求めていることは必ずしも一致しないし」

 

確かにそう。

でも、いきなり詳しいものがどーんと目の前に出されるとつらいよね。

だから、本とか雑誌とかのよさってのもあり、そこには媒体が発信したいもののパッケージ化もあるんだけど、

そこでまずは俯瞰でかいつまんで情報が見られる。それが私が「アンゼリカ」を取材したときの立ち位置。

そこからもっと知りたい人に、って情報は、さっきの「パンラボ」の記事。(もっともこれだって、削ぎ落としてはいるんだろうけど)

 

 

同時に、人の記憶は曖昧だから、記録しておかないとなくなることも痛感。

「アンゼリカ」のカレーパンの秘密だって、こうして「パンラボ」が記事にしてくれたから残っているわけで。

 

「アンゼリカ」だけでなく、「ぶーふーうー」も、「三福林」も、「千草」も、「マック」も、「アルルカン」もすでに下北沢からはなくなっていて、

それは個々の事情や時代の流れだと思うのだけれど

(あれもこれも残念というのはノスタルジックに浸った傲慢だと思う。

 もし、経営不振が閉店の理由なら、

 店があるときにちゃんと行っておけば閉店にならなかったよ、って話)、

でも、こういう街でこういう店があってこういうことをやっていてこういう人たちがいたことを、単に店データだけでなく、思いとか日々の呼吸のようなものを記録として残す意義は大いにあるんだよなぁ。

「(30年後の」谷根千」のように。

ricorice.hatenablog.com