書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

ほめてるつもりが、結局はよそ者扱い

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外国人、はっきり言えば白人、になるんだけれど、

日本に長く住んでいたり、言葉が流暢だったりすると、

本題からそれてそこをそめほやすのに時間を割くって、何だかなぁ〜。

 

・日本語うまいですね

・お箸上手に使いますね(箸を使うのは日本だけじゃないし、母国でも都市部に住んでいたら、中国料理を筆頭にそういう料理を食べる機会もあって使えるようになっただろうし)

 

これ、ほめているつもりだろうけど、結局、よそ者としてしか見ていないことの表れ。

こーゆーの要らないから。

本題を話すことに時間を使ってよ。

 

自分が外国に住んで、実際に生活にもなじんで、当たり前のように暮らしているのに、

・○○語うまいですね

・カトラリー上手に使いますね

って言われたら、そりゃそうだよ、それがどーしたの?って思うんじゃないかな。

 

 

でもって、同じことを日本人(もしくは思い切ったことをいうと有色人種)がいっても聞き流していることを、

白人が言うと、必要以上に過大評価してありがたがり、はは〜ってひれ伏すのも、気持ち悪くって仕方ない。