書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

とかくこの世は余計なものが多過ぎる

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大学に入学した18歳から20代はよく映画を観たものです。

東京にはまだ名画座が多かったし(とはいえ劇的に減っていったけど)、なにより映画館で観ないと集中できないからだし、外食するかライブに行くかレコード屋を漁るか本屋に行くか映画を観るか美術館に行くか、っていうのが、私の余暇の過ごし方でした(ゲームはしないし、ギャンブルもしないし、スポーツもしないから)。

仕事三昧で、なんせ予定が見えないから(当時はそうだった)、人と会ってどうのこうのがしづらかったし。

 

状況は一変。今は映画館から足が遠のいています。

名画座が壊滅状態ってのもあるし、座席指定になっちゃってしかも途中からふらっと入れなかったりで、心理的にうるさいなぁ、ってのも大きい。

 

加えて、あ〜ってうなだれちゃうのが、本編が始まるまでの予告編の長さ。

もう、これでぐったり。

予告編は本気で観たくない。長過ぎるし多過ぎる。

タイムテーブルに予告編を入れて欲しい。そうしたら本編から観に行けるのに。。

 

 

今やCDって何っすか?でしょうが、ひと昔前は購入する音源はCDでした。

私が本気でうんざりしていたことは、日本盤にボーナストラックが入っていること。

ミュージシャン側はアルバムには不要と判断したものを何で入れるかな?

CDの場合は通しで聴くから、おかげでアルバムとしてのまとまりがぶち壊し。

 

これのどこがボーナスなんだ!

あれもこれも聞きたい、って向きには、別にレアトラック集とかシングルコレクションとかにして別に出せばいいじゃない。余計なことしちゃってさ!

発売が遅いこともあり、輸入盤を買うことも少なくなかったな。

 

 

テレビ番組の番宣や、番組中にスポンサー商品をクローズアップされるのもうんざり。

こういう余計なこと、要らないから。

テロップや説明過多の映像も要らないから。

駅などのアナウンスの(責任回避のためでしょうか)いちいち注意を促すアナウンスもうんざり。耳障りで仕方がない。

 

 

余計なものの洪水にのまれたくないなぁ。

なんでもかんでもLess is Moreとは思わないけれど、

基本のシンプルでべーシックなものだけが提供されて、プラスαは個人で選べないもんかね。

私の思いとは裏腹に、余計なものがどんどんつけたされていっているよ〜。