書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

“女性のための”って本当に女性のためになるの?

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いちいち性別をつける風潮に首を傾げたくなるのは私だけでしょうか?

ricorice.hatenablog.com

 “女性のための”と銘打ったビジネス塾があったり、優遇制度が導入されているとこもあるとかないとか聞くけれど、

これって本当に“女性のため”になるのかなぁ?

(そして、レディースデイなどど同じく、これを逆差別だ!と叫ばないのはなぜだろう?)

 

だって、本当にやる気のある人なら、“女性”というゲタを履かせてなくってもそんなこと気にせずに突き進むだろうし、

それに社会って理不尽なことの連続で、性差はその一部に過ぎない。

もちろんさしたる理由もなく女性もしくは男性というだけで、門戸を開いていないのは問題だけれど、そうじゃなくって、始めから手取り足取り施すって甘やかしじゃないのかなぁ。

確かに二の足を踏んでいる人の背中を押したり、敷居を低くするにはいいのかもしれないし、そのことは決して否定しないけれど、実践でもっと大きな困難が待ち受けてるかもしれないのに、しかもそれは誰のせいでもない理不尽なことだったりするのに、そのときにはどうするんだろう?

 

くっだらない!(と私には思える)「ダンナのごはんはどーするの?」「きれいにお化粧しなよ」とかいった、おおよそ仕事とはまったく関係のない、女子力という言葉を隠れ蓑にした家事能力+性的魅力を押し付ける風潮は、ほんと大きなお世話だしやめて欲しい、と心底思っていて、ちやほやする制度を整えるよりも、むしろこういった意識をなくすことの方がよっぽど大事だと思うんだけど、ね。

ricorice.hatenablog.com

 

見せかけの形ばっかり作っても、性差による役割分担とか、家族のあり方(子どもの有無、子どもがいて養育者としては異性の両親、同性の両親、シングル、アダプト、祖父母などがあるにもかかわらず)とかで異性に両親に子ども2人という昔のモデルのままで止まっていて、しかもそれを理想とするのをいまだによしとしているから、歪みが生じているんだと思うんだけどねぇ。

 

こないだ見た何かの見出しが「東大卒エリートを捨てた専業主夫」(っぽいやつ)ってあって、これも変だよね〜。「東大卒エリートを捨てた専業主婦」はいっぱいいるだろうけど、それはニュースにならない。

本人が主夫に適性を見出したんならそれでいいんじゃないの? いちいち好奇の目ではやしたてなくっても、そんな人もいるよね〜、ぐらいのもんじゃない?