書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

もう“受け身”を掲げる時代じゃないよね〜

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“選ばれる”とか“愛される”という言葉がキャッチコピーに入っている宣伝文句を見ることが多いけれど、これ、もはや違うんじゃないかな〜、って感じています。

結果として“選ばれる” “愛される”状態になるだけで、 最初から“選ばれる” “愛される”のが目的なのは、もはやレトロな考え方じゃないのかな、ってこと。

 

そんな風に“選ばれる”“愛される”に違和感を持っていて、やっぱりそうだ!と感じたのが、“結婚式でのフラッシュモブ”についての話題にふれたとき。

フラッシュモブの是非はおいておいて、その理由は、喜ばせたいから、ではなく、やりたいから、自分が楽しいから、ってことに移行している、ってこと(そんな内容だったと思います)。

 

うん、うん。

 

ええとですね、ここのところ痛感しているのが、

“突き抜けた者が勝ち”

ってこと(↓)。

ricorice.hatenablog.com

 

人が喜ぶために(もちろん二次的には必要)、とかよりも、好きなことを徹底して徹底して、本当に徹底してやると、その途中では、変人扱いされたり敬遠されたりするだろうけれど、それが過ぎると、あいつ、すげ〜っ!みたいになるってこと。

そして、その分野の第一人者となり、その知識や蓄積を周囲に還元することで人に喜ばれ、同時に対価を得るんじゃないか、ってこと。

そしてそれが得意な人はそのなかで、周囲を巻き込んでいけばいい。

 

だから、“選ばれる”“愛される”に真っ先に重点をおくよりも(これがはっきりしていれば別ですが、そうでなく模索するぐらいならやんない方がいい。人の感情や意見なんて、その状況でコロコロ変わるから)、これ好き、やっていると寝食を忘れる、ってことを突き詰めていった方がよっぽどいいよ〜。

ただ、これ、ぬるいとダメなんだよね。周囲の声なんて入らないほど、のめり込めるかどうかが非常に大事かと。