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書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ディレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

おもてなしがきいてあきれる

仕事周辺のこと

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2016年も終わり、ということで、今年、別ブログ(このブログを開設する前から続けている、もうひとつのブログ(↓))でよく読まれた記事を再掲載します。

ricorice.exblog.jp※時制のみ、現在に調整していいます。

 
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(2016年7月6日(月))

 

They’re frightened.
つまりはそういうことなんだろーな。

日本に2年住んでいたイギリス人と話していたときのこと。
日本に住んでいる日本人は英語ができないわけではなくって、拒絶反応がこれまで訪ねた国のなかで世界一。その理由を、怖がっているから、とズバリ。
本人の意志とは関係のないところで、英語で話しかけられたり話す環境になるとパニックに陥り、フリーズを起こす、と。

この指摘は、実に的を射ているなぁ。私もまったくそうだと思うから。


ある日、福岡市内の某デパートの某国をフィーチャーしたイベントで、インポーターさんのお手伝いをしたときのこと。
そのとき、ちょうどワインのところにいた私。
香港から来た男性にきかれた第一声は「ここは日本のワインは売ってるの?」
「あいにく売ってないの。ここは某国に特化したイベントだから、売ってるワインはその国のものだけ。あっちのワインコーナーも同じよ」
「そうだよな、そうだよね」
きけば、そのイベント会場の隣はデューティーフリーがあり、そこで訊ねたところ、案内されたのだと。
入り口の看板に○○(イベントでフィーチャーしていた国名)に気がつき、ぐるっと回ってみてもどうも違うな、と思って確認で声をかけてきたのです。

「日本のワインなら、地下フロアに食品売り場があって、そこのワインコーナーで扱ってるかも。きいてみようか」
「いや、買っても持ち帰るのが大変だから、ワインバーとか飲めるところがあるといいなって思い始めてね」
「あら、そうなの。だったら私、これからちょうどお昼休みだから、その間にスマホでチェックできるわよ。1時間後に来てくれたら、結果を教えられるけど」
「ありがとう。でも、大丈夫。どうしてもってわけじゃないから。とにかく、ありがとう」

なんて会話を交わしている間に3度も訊かれたこと。
「君は日本人なの?」
そうだ、と言っているのに、同じ質問をするので、3回目に「なぜ?」と訊ねると、「いや、福岡(日本)で英語でコミュニケーションをとるのに難儀しちゃって。本当に、本当に英語が通じないんだ。なんで、英語で意思疎通できる日本人がいて驚いた」


私、英語はそこそこです(生まれも育ちも日本だし、言語環境も日本語だったし)。
日常生活は問題ないけれど、ネイティブではないので、独特の言い回しはわからないし、抽象的でアカデミックな言葉は前後の文脈から推察したり辞書をひくレベル。
そもそも読み書きが得意でないので(英語のみならず日本語でも。。。)、外国人が言語を体系的に効率よく習得するため、そしてあるレベルから上に行こうと するとグラマーが必ずついて回るので、時間が許す限りで無理なく勉強を続けているけれど、ライティングも本腰入れてやる時期にきたなぁ、と感じて いるレベル。

ただ、ひとつ私に備わっているものがあるとしたら、異質なものに抵抗がない、アレルギーがない、むしろ、おもしろがる、ってことかもなぁ。
They’re frightenedの発言をきいて、そんなことをぼんやり思い出したのです。


香港からきた彼が日本のワインの在処を尋ねたのはデューティーフリー。
ということは、きっと英語の研修は受けているはず、なんだけれど、どうやらその店員さんはThey’re frightenedな状況だった模様。

ちょっと考えてみればわかることだけれど、マニュアル通りにしか対応できない(マニュアルどおりにことが運ぶなんて、まずありえないと思うのだけれど)、 もしくはお飾りのにっこりパーであれば、人間である必要はないわけで、音声ガイドでも紙の案内でも、pepperでもいいわけで(pepperの方がよっ ぽど優秀でしょう)。
(このあたりの私の体験についてはこちら → http://ricorice.exblog.jp/24295969/

そういえばイギリスのスーパーマーケット、M&Sの大型店には、iPhoneを思い切り大きくしたような店内案内があったな。本屋さんとか図書館で検索用のパソコンが設置してあるでしょ、あれの店内案内版(パソコンの画面よりもふた回りぐらい大きい)。
あっ、これ、いいな、って思ったものです。

言葉の壁が高いなら、ものごとはなおのことシンプル化すればいい。
システムも表示も。視覚で理解できるインフォグラフィックあたりを取り入れるだけでも随分違うんじゃないかな。


耳にするたびに、私がものすごく違和感を感じる言葉に“おもてなし”があります。
あまりに曖昧模糊としていて情緒的で、それよりもものごとのシンプル化に通じる、基本的なインフラをまずは整える方がよっぽど合理的かつ効率的でいいんじゃない、と強く思っているのです( → http://ricorice.exblog.jp/24295969/

よくいわれる“おもてなし”に私が感じるのは、施す側の視点。実は、ユーザーの立場じゃない。
こんなにやってあげたのよ、の自己満足に帰結しているんじゃないかな、と。
先の、香港の彼が日本のワインを探していたことを例にとると、その売り場まで連れていくことこそが“おもてなし”と思っているじゃないかと感じるのです。

でも、もっとも大事なのは、どこで売っているか(を伝える)、ってこと。
さっと理解して自分で行ける人は自分の足で行かせればいいし、よく分からない人にはメモ書きを渡すなりすればいい。
どうしても連れて行く必然性が生じたときは、自分に余裕があれば連れていってもいいし、そのとき自分がやることがあれば、自分の時間を犠牲にせずとも、誰かに任せればいい。

手取り足取り、これが親切でしょ、っていうのは親切でも何でもなくって自己満足に過ぎない。
今の一般に流布している“おもてなし”って、ワイン売り場に連れ行く行為に重きをおき、それを自画自賛している気がしてならないのです。
でも、これって相手の意向を確かめず、これがいいだろうと決め込んで勝手に施すことなんじゃあ。。。
人間がやる本当の“おもてなし”って、目的を明確にして(この場合だと、日本のワインをどこで売っているか)、それに対して相手に合った方法を提供することのような気がするんだけれど。。。
(イギリスで日本の家電製品を見なくなったことと、本質的には同じではあるまいかというのが、私の見解です → http://ricorice.exblog.jp/24209575/

 


以下、余談。
さて、先の香港からの旅行者が日本のワインを探している状況で思い出したこと。
このときの2カ月ぐらい前だったかなぁ、香港の知り合いが、同僚だったか別の部署の人だったかが東京に取材に行くから、ってことで連絡を受け(今、私は東 京に住んでいないので、信頼できる方に引き継いでもらったのですが)、後日、そのクルーは東京・蔵前のサードウェーブ・コーヒーシーンも取材対象だと知り ました。
日本のワインといい、蔵前のサードウェーブ・コーヒーシーンといい、なんとまあ、感度の高いことよ!

 

 

おもてなしがきいてあきれる : イギリスの食、イギリスの料理&菓子