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書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ディレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

自分の本を出したい人に、圧倒的に足りないこと

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腐っても書籍、といったところでしょうか。

出版不況がささやかれ、随分と歳月が経ちますが、それでも本、自分の本というのは魅惑的な響きがあるようです。

その理由をひと言でいうと“箔がつく”。水戸黄門の印籠のごとく、自分のステージを上げる恰好の材料ってわけですね。

 

私の場合、著者でもありますが、ずっとやってきて今もやっている仕事に書籍の制作があります。

具体的には、編集だったりライティングだったりするわけです。

会社、つまり出版社に属しておらず、“こういう本を出しましょう”といった企画の持ち込みなんかもします。

 

こういう私の仕事内容を知った人からときどき言われるのが「私、自分の本を出したいんです!」。

本を出したい、という夢があるのはいいことです。

でも、話をきくと、そう言ってくる人のほとんどが、よくまあ、いけしゃあしゃあと、といった人たちです。

実績も知識もカリスマ性もないのに(あったとしても潜在的なもので、目に見える形としては皆無に等しい)、私のような人間にすり寄れば自著に近づけると思っているんですよね〜。

 

勘違いも甚だしい!

 

そして、話を聞きながらぬぐえぬ違和感。それは何だろう、とずっと考えていましたが、あっ、そうか!と気づきました。

 

 

本を出すこと。

それは不特定多数の人を対象に、情報や知識などの内容と引き換えに代金をもらうことです。

お金を支払う価値がある、というのはどういうことかというと、本も世の中のほかの商品と同様、真っ先に問われることは、

・それが世の中の役に立つかどうか

ということ。

これは役に立つ!じゃあ、それに対してお金を払いましょう、という方式は、モノも情報も同じことです。

 

24時間いつもあいていて何でも買えるしいろんなことができる、それって世の中にとても役立つことですよね。だからコンビニは盛況し、結果として成功した。

 

本も同じことで、

「あるといいな、って情報がない、あっても分散されていてまとまったものがない、だからこういうものが1冊あると便利なんです。」

という視点なくして、企画は成立しない。

実際、企画書に盛り込むのは、“世の中にどう役立つのか”ということです。

 

タレントさんなどその人の存在が商品なら、いざ知らず、えてして自著を出版したい人は、自分の作品集を出したいと思っています。

そこには“世の中の役に立つ”という視点が決定的に欠落している。

私を見て見て!の認められたい欲求を満たすための、自分の作品集であれば自費出版で十分なんです(だけど、そういう人に限って、商業出版をしたがるのは困ったものです)。