書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

作品そのもので“いい!”と思えるのは素敵なこと

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先日、打ち合わせの席でのこと。

ある類書を眺めているときに話が脇道にそれ、その場にいた方が、こんなことを言い出しました。

 

「こないだ、ときどき立ち寄るロックバーに行ったんですよ〜。『○○』って曲がかかって、その店にあるレコードは限定盤で、珍しいな、手に入れるの大変だっただろうな、と思って、眺めていたんです」

「そしたらお客に来ていた若い、20代前半かな、の女性が、『この曲、いい! なんて曲なの?』ってマスターに聞き始めて」

「で、曲を教えてもらったらすぐにスマホでぐぐって、へえ〜、へえ〜、とか言い始め、曲もすぐに購入しちゃったみたいで」

「そのマスターはいつもなら、そのレコードを手に入れるのがいかに大変だったか、その曲がいかにすばらしいか、ひと言二言話し始めるんですけど、黙ってたんです」

 

へえ〜!!!

 

「自分は田舎で洋楽オタクだったから(これ、私と一緒!)、マスターの気持ちはよく分かるし、情報に飢えていたから、それこそ穴があくほど雑誌とか読んでいたんですよね。今はもう、そういう熱い思いで音楽を聴かないんでしょうね」

 

そこで、私。

「そういう彼女の方が、純粋に音楽だけで評価してるんじゃないでしょうか。それってある意味うらやましい。変にバイアスがかかっていないですし」

 

そこで、相手がはっとした顔になって、

「あっ、そうですね! 入口と出口が入れ替わったのかもしれないですね」

「そこから始まって、深い音楽体験していけば、それは私達が体験してきたこととは性質が違うけれど、やっぱり心に刻まれていくんでしょうね」

 

 

すでに情報はある、モノはある。

そこで選択してからの、それ以降の体験が大事になったんだと思うんですよ。

音楽に限らずに、ね。