書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

自信、というのじゃないけれど

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私はフリーランサー、自営業です。

2001年からなのでかれこれ15年。

独立するぞ!という強い意志でなったわけではなく、イギリスから帰国したときに、ぽつぽつ仕事をもらったり(ヒマだったら手伝って!みたいな)、外国暮らしでますます一般的な日本の社会生活に適合することができなくなり、流れに身を任せてのフリーランス

 

組織に属している人と話していると、思わぬ方向から会話の球が飛んできたります。

そこで気づいたこと。

フリーランサーはうまくいっている/仕事があるときはそれをやめようと思わない。

でも、仕事って、なぜかタイプがまったく違う仕事が重なることが往々にしてあり、仕事が重なる、ということは仕事がまったくかすらない時期もあり、フリーランサーが就職しようと思うのは、たいていこんなとき。

 

・これって波だからじたばたしても仕方ない

・まとまった時間がとれるいい機会だから高飛びしちゃおっと、もしくはこれまでやりたいと思ってできなかったことやろっと!(じっとしているとネガティブな方向に気持ちが向かうし)

 

そういう意識に私は向かうのですが、仕事がない=収入がない、は事実で、このヒマな時期に耐えられるかどうかがフリーランスに向いているかどうかの要がします。

それは楽観的、という言葉に置き換えられます。

ricorice.hatenablog.com

 

先日、楽観的になれる、ってことは自分に自信があるからでしょ、と訊かれ、

うまく答えられず、今もどう説明すればいいのかわからないのですが、少しアウトプットすることで整理できればと思い、綴る次第。

 

・自信がある

わけでは決してないんです。かといって自信がないわけでもないけれど。

ここでいう自信ってのは、相対的なもの、つまり他者との比較で自分が秀でている、って確信できることなんだと思うのです。

 

でもね、他者との比較だと果てしないし、その比較方法だって曖昧。すべてを数値化できるわけではないし、できたとしても数値化したものが絶対ではないし。

 

じゃあ、なんで、でーんと構えていられるか、っていうと

・自分でできることややることはやっている
・うまくいかなくても、自分のせいでも他人のせいでも誰のせいでもなくタイミングや相性が合わなかったってことで必要以上に悲観的に捉える必要はない

・賽は投げられた。どうしてもダメならそのときに抜本的に考える、方向転換を図る

 

からで、

もしかしたらポイントは、

  • 自分でできることややることはやっている

という自負があるからかもしれません。

努力、とも違うし、修業、とも違って、

・やり始めたら止まらなくって、そのときになるべく自分に規制をかけず、とことんやる。手は抜いていない

ってことで、要は夢中になっちゃった、という状態です。

のめり込んで、もっともっと、ってなっちゃうから、気づけば蓄積が多くなっている、という。

だから自信がある/なしとは違う物差しで、振り返ったときに自分のなかでは達成感があるのかもしれません。

 

でも、このことが、フリーランスでいられる理由と関連するのか、と問われると、返答に窮するのです。

ただ、のめり込む、という工程は、会社員だとやりづらいのは事実。

だって実務が目の前にいつもあって、細切れでしかできないから。それに、実務がのめり込めるのであれば、会社を辞める必要はないわけだし。

 

 

かねがね、属さない、それもやったるで!みたいな起業ではなく、

そこそこお気軽フリーランス、でいることは性格が大きく左右するんじゃないか、と思っていて、その適性をうまく表現できる言葉が今はまだ見つからない。

 

雇われる側、雇う側は実は同じタイプかもしれない。

でも雇いも雇われもしない人間は、まったく違う精神軸で生きているように感じるのです。