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書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ディレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

たった? もう? 20年という歳月をふと思う

ネットメディアについて 仕事周辺のこと

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ついに予告編が解禁されました。

2016年11月3日リリースされたのは、映画「トレインスポッティング/Trainspotting 2」の予告編(本国イギリスでは、来年2017年1月27日公開)。

www.nme.com

 これ、1996年(日本では1997年だったかな?)公開された「トレインスポッティング/Trainspotting」の続編。

オリジナルが公開されたとき、映画はもちろん、サントラやポスターもヒットしました。

 

 

私にとっての「トレインスポッティング」は、映画自体がおもしろかったこともあるけれど、それ以上の大きな意味を持っています。

 

1996年6月、イギリスに1カ月いたとき、現地のイギリス人の友人に、「今、この映画がものすごおおくおもしろいから。一緒に観に行こう!」と誘われ、映画館に向かったのがこれ。

同監督のその前の「シャロウ・グレイブ」がよくできた今どきのカルト映画、といった印象だったのに対し、ぐっと吹っ切って、疾走感とグルーヴ感に満ち溢れていて、すっかり虜になってしまったのでした。

 

象徴となったのは、おそろしいほどのスコットランドなまり、アンダーワールドのデジタルサウンド。

 

私は1995年に自分のマシン、マッキントッシュをインターネットにつなぎたい目的で購入。果たして、自分の住んでいた世田谷の小さな部屋から全世界につながる窓を通じて、現在進行形の世界の情報を自分で取捨選択して得られることにすっかり感動したのでした。

サイバーパンクとかデジタルものの本(『ハッカーを追え!』とか)を読んだり、音楽もテクノとかデジタルとかロックとかポップスとかの単純なジャンル分けができなくなり(ストーン・ローゼスプライマル・スクリームケミカル・ブラザーズ、ビヨークらの功績は大きい)、「トレインスポッティング」はそんな時期を統括するような映画に思えたのです。

 

私を映画に連れて行ってくれた友人もインターネットにつないでいたので、一緒にウィンドウを眺めながら見てあれやこれや話したことも、それまで手紙のやりとりだったのが、えらく旧式のことに思え、インターネットがもたらす、速さを実感。

ローカルにいながらデジタルテクノロジーという世界共通言語を手に入れて、デジタルが日常に入ってくる日々への予感、ぐっといろんなことが身近になっていくことに高揚する、それにズバッとはまった映画が、私にとっての「トレインスポッティング」だったのです。

 

 

そんなことが思い出されたのは、「トレインスポッティング 2」の予告編で使われていた、モノローグ(ナレーション)のセリフ。

20年前の「トレインスポッティング」と同じ文体ながら、言われていることがえらい隔世感。

 

1996年で選ぶべきものは、

“仕事であり、キャリアであり、大型テレビであり、洗濯機であり、車であり、CDプレイヤーであり、電気缶開け器であり、保険であり、ローンであり(以下、割愛)”

だったのに対し、20年後の2016年は、

フェイスブックであり、ツイッターであり、インスタグラムであり、リアリティ番組であり、リベンジポルノであり(以下、割愛)”

なわけです。

 

 

すっかりデジタルメディアが主流なんだなぁ。

マスメディアではなく、友達や知り合いがシェアしたりアップした情報を見て、そして選べ、それが

Choose life

につながるんだ、と。

 

 

正直、再結成とか続編とかには積極的に食指が動かないのですが、今後の20年を示唆するようなものが散りばめられているかもしれないなぁ、と予告編を見ながら、ふと感じたのでした。