書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

“ジャンキーな私”もひとつの側面

f:id:ricorice:20161006010259j:plain

ここのところ、残暑というのは遅過ぎるけれど、まあ、とにかく暑い。

外に出たときに、喉が渇いて久しぶりにコーラなんぞ買って飲んでいて思い出したこと。

 

「この人、ジャンキーなもの(ジャンクフード)がよっぽど好きなんだなぁ、って思ってたわ」と言われたこと。

ひと昔ふた昔前、私は制作会社に勤務していました。

フロア違いで系列会社が入っていて、通常業務は別々ですが、ときどき打ち合わせで同席したり、休憩室で一緒になったり、出勤/退社時に顔を合わすこともありました。

この延長線上で、たま〜にランチから戻ってくるのに出くわすこともあり、そんなときに私がストローを挿したコーラを片手にうろうろしている確率が高かったんだとか。

 

が、実はそんなことなく、別段ジャンクフードを頻繁に食べていたわけでもなく、定食も食べればお寿司もつまむ、パスタやビビンパのお店に行ったこともあったわけで。

ただ、確かに、ハンバーガー、お好み焼きといったジャンクフード/スナック類には絶対的にコーラという法則が私の中にあり、飲みきれなくって、ちゅうちゅうしながら会社に戻っていたのは事実。

 

飲みながら歩いていないときに出会っていたことの方が圧倒的に多かったと思うんだけれど、印象に残るのは、なにか違うとき。

なので、仲良くなって喋ったり一緒にごはん食べたりするようになったときに、実はジャンクフードばかり食べているわけではなかったことに気づき、前述の言葉が発せられたのです。

 

 

これ、おもしろい視点だと思いません?

 

裏を返せば、人の印象って、自分がどう映るかで全然変わってくるってこと。

いつも思うのですが、これ!と単純な要素で成り立っている自分はいないわけで、私の例をとると、お昼にはいろんなものを食べているわけれど、たとえばうどん屋さんでいつも会う人がいるとしたら、その人にとって私は、うどん好きな人。さっきのジャンクフード好き、なように、ね。

いつもはご機嫌でも、ときに不愉快なことがあってブスッとしていて、たまたまそのときに出会った人がいたとしたら、その人にとっての印象はブスっとした人。

 

ってことは、自分がなりたいか、って自分をどう見せるかの延長線上にあると言っても過言ではない気がします。

 

これ、応用しない手はない。

 

たとえば名刺。たとえばFBやブロブの発信。

こうありたい、こうしようと思っている自分をあらかじめ見せると、人の印象ってそうなるもんだから。

これ、身をもって体験したから、ホントよ!