書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

取材する側と、される側と

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私の仕事でいうと、編集者歴が一番長く、イギリスの食研究家歴が一番短い。

この2つの共通項は、対象を調べる、ってことだけれど、全く違うことに、

  • 取材する側
  • 取材される側

というのがあります。

 

立場が変われば、見方が変わる。

見方が変わるというよりも、認識させられること、気づくことがあります。

 

取材するとき、それが専門誌であっても、疑問に思ったこと、知りたいことを分かりやすい言葉で素直に聞くようにしています。

共通認識と思われることも訊いて確認するようにしています。

知ったかぶりはよくないし、すぐにばれる。

読者の代表として、率直に質問をぶつけます。結果、“なぜ?”を連呼するという。。。

 

これ、逆の立場、取材される立場になったら。

答えるの、すごくむずかしい。本当に、むずかしい。

時間が足りないな〜、ああ言えばよかったな、ってことがしばしばあります。

 

自分にとって当たり前になっていることがいかに多いことか。

でも、本来であれば言動のひとつひとつにはちゃんと理由があるんですよね。

それを言語化できない、ということは、普段考えていない、無自覚であるということ。

その事実を、取材によって突きつけられます。

 

なので、ときどき自分取材をすることも大事ですね。

「これはなんの目的でやっているのか」

「これをやっている理由は何なのか」

そのとき、頭の中でぼんやり考えるのではなく、紙なりスマホ/パソコンなりに書き出すこと。

言語化は自分を対象化し、客観視できること。

 

これは自分の棚卸しかもしれません。

お店などでやっている棚卸し同様、定期的にしたいもんですね。