書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

実のところ、失敗は誰のせいでもない

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仕事、だけじゃないけれど、人生(というと大げさですが)に失敗はつきものです。

誰だって失敗はしたくないけれど、失敗しないなんてありえない。

 

あるプロジェクトに声をかけられたとします。

自分もだし、一緒にやるスタッフも一生懸命やったけれど、うまくいかず、結果は惨敗。

そのときの責任は誰にあるのか?

 

大きな意味では、そのプロジェクトを統括している人にあります。

ビジネスである以上、結果、つまり利益を生み出さないことには意味がないのですから。

でも、自分もへまをし、思ったほどうまくできなかったこともあるとなると、当然、責任を感じるでしょう。

そのへまが大きければ大きいほど、自分のせいで、と思い悩むでしょう。

 

でも、確かにへまをした自分も悪いけれど、発注した側の見た目がなかったことも原因としてはあります。それは能力というよりも適性。補う対策がなかったことも問題です。

そしてなにより、タイミングというか相性というかがよくなかったことが大きいんじゃないかな、というのが私の経験則です。

2年後だったらうまくいったかも、あの人が早くチームに入ってくれたら。

誰もわざと失敗しようと思ってやっているわけではないのですが、うまくいかないことはあるものだし、そういうことの方が多い。

 

もちろん、うまくいかなかったことは繰り返さないために、検証は必要です。

現状をよくするためには現状認識から。現状認識は言葉を変えれば、検証ということになります。

反省は、う〜ん、どうかな、ときと場合によるかな。反省しても次に生かさないのであれば意味はないわけで。

 

失敗は、自分ひとりのせいじゃない。なので必要以上に責任を感じる必要はないのです。