書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

コメント欄をじっくり読むとします

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別段、紙にこだわっているわけではないけれど、愛着はある。

出版不況と言われて久しく、日本語マーケットは縮小しているし、デジタルに取って代わったことは随分増えたし、

でも、どこかエリート意識があり、そこに慢心しているから、ってのも理由だと思う。

だって、ほんと、(概して)構造があまりに変わらないし、スピードも遅いし。。。

 

その一方で、コミケ市場は拡大していっていたんだよね。

そこでは紙が依然として強い。

 

この状況をどうしても見たくって、東京に戻ったあかつきには行くぞ!と意気込んでいたけれど、

新型コロナウイルスの影響でそれどころではなくなった。

 

 

news.yahoo.co.jp

このニュース、ニュースそのものよりもコメント欄が非常に気になる。

行けなかったこともあり、このコメント欄にしっかり目を通すとしよう。

移動の時間と図書館のある環境が、本に向かわせる

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私の読書がはかどるのは移動中。

ゲームをしたりスマホを眺めたり、はほとんどしない。

ヨーロッパ行きの飛行機なんて絶好の機会で、ここぞとばかりに長編ものを持ち込んだものです。

 

少しばかりの揺れと少しばかりの周囲の賑わいがちょうどいいんだと思う。

 

ン年ぶりに東京に戻り、すぐに外出自粛になり、もともとが内向型だし仕事も基本リモートだし、でなかなか出かけることがなかったのだけれど、

8月末ぐらいから、外に出る機会が増えました。

 

ということは、電車移動の時間が増えた、というわけで、やった!とばかりに本を読んでいます。

 

 

あれ〜、以前もそうだったっけ?と思い出すと、

資料に目を通したり雑誌を読んだり、で、娯楽としての読書、は働き始めてからほとんどしてこなかった。

 

じゃあ今なんで、と考えると、資料に目を通すことはあるけれど、雑誌を読まなくなった、というのがとても大きい。

そうだよなぁ、2010年頃までは、雑誌代だけで月に1万円は使っていたもんなぁ。

今は最新情報はネットで収集するし、あまりに情報過多なこのご時世、放っておいても情報はどんどん入ってくるから、これ以上情報をとりにいきたくない、ってのもある。

 

それと、もうひとつ。

図書館が徒歩圏内にある、ってのも大きい。

自分で買うのは、好きな本になるし、本屋さんは新刊や定番が中心だけれど、

図書館はひと昔前のベストセラーや話題になった本もあるし、買わないまでも気になった本を手に取れるというのもありがたい。

自分にとってハズレだたら、途中でやめればいいし、当たりだったら買い求めたりする。

知らない世界にすぐに手を伸ばせる、んだよなぁ。

 

 

今、本を読むのが本当に楽しい。

電車の中だけでは飽き足らず、家でも読みたいから、今日はここまでやったら後は本を読もう!と決めて、至福の時を過ごしています。

 

仕事を始めてからは純粋な読書ってほとんどしてこなかった。

文字を追いかけるのは、類書や資料、最新情報に目を通すのにいっぱいいっぱいで。

 

もちろん広義では仕事につながるんだけれど、それでも文字からその本の世界に入るのがこんな楽しい!なんて、

活字中毒だった小学校1・2年生の時以来かもしれない。

体のいい断り方

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先日、仕事の打診がありました。

広告関係のライティングの案件で、初めて、ということで、経歴を提出

(広告関係は経歴の提出を求められるんですよね〜)。

 

その経歴で持って、お断りの連絡が。

その理由が「今案件にはもったいないので」。

 

。。。

どこがだよ!

 

編集プロダクション出身で、華々しい世界を歩いてきたわけでもなく、

なので、そんなもったいないを思わせるほどの経歴であるはずもなく。

下に見られ、軽んじられること、ほんと多いしなぁ。

 

企画に沿わなかった、でもあり、力量不足でもあり、っていうのが正直なところでしょう。

結局、力をつける、つけていく、なんだよねぇ。

 

 

にしても、「今案件にはもったいないので」って、体のいい断り方だなぁ。

 

近所で食べる、ということ

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半年ぶりに近所のラーメン屋さんを訪ねました。

ラーメンは好んで食べる方ではないのですが、それでも半年ぶり!とは、ね。

新型コロナウイルスの影響で、営業日時が変わりかつ不定期になり、改装もしていた時期があって、なかなかタイミングが合わなかったのです。

 

お店に着いたら、夕方7時を回ったばかり。

カウンターの端っこで作業をなさっていたので、

「あっ、早かったですか?」と聞くと

「いえいえ、仕込みに時間がかかってしまって。どうぞどうぞ」と。

 

お言葉に甘えて、席に着き、注文をすると、

すぐにカップルが2組入店。

その後、私の注文が来たぐらいのタイミングで、カップル1組と若い男性が入店。

10席足らずのカウンターはほどなく満席状態に。

 

 

ラーメン屋さんにあまり行かないのでわからないのですが、カップル率ってこんなに高かったっけ?

年齢はまちまち。1組は40〜50代、1組は30代、もう1組は20代。

いずれの方々もほとんど手ぶらで、カジュアルな服装から察するにご近所さんでしょう。

 

 

これだけを見て、結論づけることはできないのですが、

リモートワークで自宅で仕事、今日は外で食べるか〜、みたいなノリが感じられたのです。

コロナ以前だったら、彼らは職場の近くとかターミナル駅で待ち合わせて、食事をすることも多かったんじゃないかな。

 

新型コロナウイルスの影響で、飲食店は淘汰されるでしょう。

付き合いや接待、飲み会が激減したし、自分で作るにしろデリバリーにしろ持ち帰りにしろ自宅で食べる方が気楽と気づいた人も多いでしょう。

 

でも、飲食店はなくならりはしない。

自分の家のダイニングテーブルの延長で、ふらっと行けるご近所のお店、英語でもそう呼ばれる“neighbourhood”が重要になってくるのかな〜。

電車の終電も早くなるし、そうすると、やはり気軽なご近所の店、という選択になるのかな〜。

 

ラーメンをすすりながら、そんなことをぼんやりと考えちゃいました。

 

その“よかれ”はまったくよくないのだ

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まあ、プロの話し手さんの発言なので話半分で聞いておくぐらいがいいのでしょう(↓)。

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でも、「してやった」が出た時点で、それは善意の押し売りだなぁ。

 

今でも得意じゃないけれど、私は仕事関係の人とプライベート(というか自分の時間を差し出して)、飲みに行ったり食事に行ったり、出かけたりするのが心底苦手だった。

 

おいしいものをご馳走になる  <  解放してくれ(ひとりでいたい)

 

気を遣うとかそういうことではなく、とにかく早く帰ってひとりになりたい。

まあ、内向型、ゆえですね。

 

でも、気を遣うから苦手、という人も多いんじゃないかな。

 

歓迎会も送別会も納会も花見も要らない。

やるなら時間を決めて業務時間中にやってくれ!って思うもんなぁ。

 

 

タチが悪いのは、おごる方は喜んで欲しい、という善意が発端であること。

 

相手の気持ちや意向お構いなしに、勝手にこうすれば喜ぶだろう、というのは善意の押し売りで、しかもその相手が喜ばなかったら、ふてくされる、というのは、筋違いも甚だしい。

よく、感謝の言葉を求める人がいるけれど、勝手にやっといて何を言っているんだろう、って思う。

 

最近聞かなくなった、日本の“おもてなし”ってこれだと思う。

頼まれもしないのに勝手に進めて、それを拒否されたら、勝手に傷つく、というね。

まずは相手が何を求めているか、ちゃんと耳を傾けてからでしょ。

 

 

“よかれ”なら何をやっていいわけじゃないよ〜。

悪気がなかった、善意なら、何もやってもいいわけじゃないよ〜。

 

 

自分も無意識でやってないか、気をつけよう。。。

なかなか終わらない、のである

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25日ぶりに生理。

ず〜っと周期が長かったのが、2年前ぐらいからかなぁ、ほぼかっきり4週間周期になり、

それがここのところ、もう少しサイクルが短くなっている。

 

今回は、生理前に前兆らしいものは感じず。

多い日の量は相変わらず多く、その量の多い日に

攻撃的なまでの睡魔と食欲が襲ってきた。。。

 

食欲は、こんなものを食べたくなるのか!と自分でもびっくりしたのが、

自然な甘いもの、砂糖で甘くしたものじゃなくってね。

焼き芋とかかぼちゃの煮付けとかを食べたくなったのよ。

 

それぞれは別に嫌いなわけではないのだけれど、

芋類や豆類をごはんのおかずにする、その取り合わせが苦手で

(ごはんは何にでも合う、と言うのは大間違いだと思っている。

日本のごはんはもっちり甘い、主張があるので、一緒に食べるものを選ぶ。

パンの方が汎用性がぐんと高い、私には)、

かつ間食をしないんで、普段そんなに食べないのよね〜。

 

飢餓感にも近い食欲が襲ってきて、かぼちゃを調理する間もなく、

買い置きのあったバナナチップスをガツガツ貪ってしまった。文字通り、貪る。

 

 

つくづく、不思議。

肉が食べたい! 甘いものが食べたい!

に襲われることは珍しくはないのだけれど、さつまいもやかぼちゃを食べたくなるなんて、

まったく考えたこと、なかったよ!

 

それにしても、なかなか閉経しないなぁ。

 

“場”としての飲食店が変わったなぁ

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知り合いから相談したいことがあるから会えないか、と連絡がありました。

文面から、具体的なシリアスなこと、ではなく、

(今後そうなるかもしれないけれど)まずはちょっと聞きたい、

ってことだろうなぁ、と判断。

 

数年ぶりに会うし、

飲んで食べておしゃべりして、ができるところで夜会いましょう、

と、コロナ前だったら何の迷いもなく言ったでしょう。

 

でも、同じ、飲食店に行くなら、昼でオープンテラスとかがいいなあ、と感じ、

まあ、結局、夜、アルコールを提供しているファーストフード店にしたのですが、

無意識の自分の変化に驚きました。

 

なぜ、夜の飲食店に食指が動かなかったか。

一言で言うと、楽しめない、から。

 

お店が悪いわけではなく、人もまばらで静かで、夜だと外が暗いせいか、店内も雰囲気が暗くって、なんだか楽しくないんですよ、それに気が滅入る。

 

単純に

・料理

・飲む

・会う/話をする

であれば、目的がはっきりしているので夜の飲食店も気にならないのでしょうが、

久しぶりの再会を楽しむのには、賑やかな場がいいな〜、と真っ先に感じたんですよね。

 

結果、アルコールを提供しているファーストフード店を選んでよかった、かも。

間隔があるとはいえ席は満席だし、人は入れ替わり立ち替わりだし、

それなりに賑やかさがあったので。

 

 

私にとっての“場”としての飲食店の立ち位置が変わったなぁ。

ひとりでごはん、食べながらマジメな話(これは個室を予約したりする)、メニューの確認(仕事柄)、は少なくなく、こちらはこれまでとあんまり変わったように思えなかったけれど、

誰かと楽しく笑いながらたくさんおしゃべりして過ごす、となれば、

その場を演出してくれる場としての飲食店の役割は大きい分、

時間帯やお店の選び方が変わっちゃった、ってことか〜。