The sun is out. Another lovely day begins.
今年2月に8年半ぶりに東京に戻り、
いつも物件を決めるときはそうなのですが、
結局スペックではなく、「あっ、ここ!」というカンに従い、
最寄駅からの道のりと治安の確認のため、暗くなってからもう一度物件を見に行き、
大丈夫!と確信し、でもそれだけで決めています。
今回もそう。
別のエリアで探していて、そろそろ私の嗜好を理解し始めた不動産屋さんに「こんなの出てきましたよ!」と案内され、そのあと、トントントンと決め(決まり?)、移動自体も早かった。
そんなわけで、エリアもだけれど、物件そのものも徹底的にチェックしたわけではありません。
結果、オーライ。
なんだかものすごい幸福感に包まれて日々を過ごしていて、
会う人に「幸せそう」「楽しそう」と言われ、「本当にそうなんだもん」と積極的に肯定しています。
その理由のひとつが、今の住居がやたら日当たりがいいから。
住んでみて気づいたのですが、やたら採光のよい造りになっているんですよね。
朝、明るい日差しに包まれて目覚める、そのなんと幸せなことよ!
東京は太平洋に面しているので、冬場は晴天の日が多い。
引っ越してきてから1カ月半が経過するけれど、傘を使ったことは一度だけ!
雨の日自体が少なく、ぱらっと降ったことはあるにせよ、雨の日は片手で足りるほど。
特に今冬は暖かく、それも心地よさに一役買っているのかな〜。
この感じ、どこかで体験したな。
あっ、2000年4月頭だ〜。
当時イギリスに住んでいて、学校が休みなのと絡めて、1カ月ほどフランスをぶらぶらしているとき、4月頭に南仏は地中海のポルクロル島に行ったんですよね。
後で知ったのですがゴダールの映画『気狂いピエロ』のラストシーンが撮影されたのが、この島でした。
で、ローカル線やフェリーを乗り継いでポルクロル島に行く過程もそうだったし、島で過ごした時間もそうだったのですが、地中海のまぶしい日差しと紺碧の海は魔物が棲んでいるんじゃないか、と思わせるほどの、絶望的なまでの絶対的な幸福な風景。
カミュの小説『異邦人』の主人公ムルソーの殺人の理由が太陽がまぶしかったから、というのもわかるような気がしたのです。
天気がいい、気候がいい、お日様は頭上にある、目の前には太陽に照らされて波光きらめく青い海、潮風も心地よい、
もうそれだけでいいじゃないか、って気分になるのです。
これで気分が高揚していると『太陽がいっぱい』な気持ちになるんだろーなー。
今、新居での朝の目覚めはこれに近い。
お天気ってこんなにも精神状態を左右するのね(私だけ、かな?)
なんとなく気落ちすることもあるけれど、昼間だったら窓を開けて外を眺めたり、一晩寝て朝の光を浴びれば、それだけで幸福感が回復する。
それはものすごく幸せなことなんじゃないかな〜、と感じています。
これまで別段、日当たりの悪いところに住んでいたわけではなく、むしろいい方だったとは思うのだけれど、
今の住居の日差しに包まれている感じはプライスレスだなぁ。
そんな強烈な太陽、ではないけれど、日の当たる部屋で、生きていることを肯定したなる幸福感を音にするとこんな感じ。
(PVは私が先に曲を聞いてイメージしたものとまったく違う。
スコットランドの海が見える、古ぼけた小さなフラットの窓から日差しが差し込んで、幸せな光が浮遊しているものを思い描いていたから)
(「Flowers In The Window「を一聴したとき、「Our House」をTravisが演るとこうなるのかな〜、って思ったのです)
ご近所へのご挨拶にやっと行きました
これまで引っ越した際には、必ずご近所にご挨拶に行っていました(と言っても数軒ですが)。
周囲は、「今どきは必要ないんじゃない?」という声が多数。
なので、今回はどうしようかと気になりながら、もうそういう時代かもなぁ、と見送っていました。
こういうのは不動産屋さんや管理会社さんにきいてもわからないだろうし、ね。
で、1カ月半以上住んでいれば、すれ違ったりすることはあるわけで、そのときにさらりとご挨拶はしたものの、やっぱり気になる。
先日、そのことをお仕事でご一緒した方に話したら、
「ご挨拶に行った方がいいですよ。やってよくないことなんて何もないでしょう。肩肘張らない老舗どころのクッキーとか、ちょっとした手みやげを持って行くといいんじゃないですか」と背中を押され、
数日後、御茶ノ水に行った際に、近江屋洋菓子店でお菓子を買って、引っ越してから1カ月半経ってようやくご挨拶に。
ケジメ、というのかな。
こういうの、やっぱり気持ちいい。肩の荷がおりたというか、モヤモヤがす〜っと解消されたというか。
私はやっておいた方が気持ちがすっきりする人間なんだ〜、と自分のことも認識しました。
にしても、いつもそうですが、私は物件運(なのかな?)があるというか、
大家さんをはじめ、不動産屋さんや管理会社さん、近所の方にも恵まれているなぁ。
なわけで、今はバタバタの引っ越しで、前に住んでいたところのご近所にきちんとご挨拶できなかったのが心残り。
タイミングを見て、ご挨拶に行こうかなぁ。
家にも人生があるんだなぁ
1990年代、私は世田谷に住んでいました。
先日、世田谷区民会館に行き、そのあと、時間があったので、
1990年代の大半、人生でいちばん長く住んだところ、そしてその前に住んでいたところを訪ねました。
びっくりしました。
時が止まったかのように、そこには私が住んでいた家たちが、当時の佇まいのまま残っていました。
2軒のうち、長く住んだところは、たまたま大家さんの息子さんがいらっしゃり、
お会いしたことはなかったのですがお互いに存在を認識していたので、ご挨拶ができました。
もう1軒は、周囲が更地になっている中、その家だけがすくっと建っていました。
懐かしさがないといえば、嘘になるけれど、それよりも、
おそらく近いうちになくなるでしょう(勘ですが)、
どちらの家も、最後に健在な姿を見ることができてよかった!
そんな気持ちに襲われました。
今、自分が引っ越して来たからなのかもしれませんが、
家にも人生があるんだなぁ、と考えるようになり、
関わった者としては、元気なうちにもう一度、住んでいた家たちに会えて、本当によかったです。
もう家では飲まないかもね
私は飲むこと自体は嫌いではないけれど、まったく飲んべえではありません。
習慣化もしていないし。
そのせいもあって、泥酔とか酔った勢いとか、本当に嫌い!
酔った勢いは言い訳にならないよねぇ。
新幹線で、待ってました!とばかりに飲む姿にも否定的です(あ〜あ、また敵を増やしちゃった!)
ビールはハーフパイントで、ワインはグラス1〜2杯で十分、なので量を飲まないし、日常化して頻繁にも飲まない。
外で食べるときは、お店のため(水商売は水で稼いでもらわないとね)もあるし、気分もいいし、そういうもんだってどこかで思っているので、お酒を注文します。
ランチで飲むことも少なくない。
そんなわけで、家で飲むことはあまりなく、
人が来たときとか、ついボトルを買ってしまったときとか、たま〜に飲みたくなるとき。
後者のたま〜に飲みたくなったとき、ってのが曲者で、ちょっとだけ欲しくなるんですよね。
量は欲していない。
そして、デイリーワインはコンビニやスーパーマーケットが優秀!なのですが、
こういうときに飲みたくなるのは、ちょっといいワインやおもしろいクラフトビール。
買ってもいいし、実際にこれまでは買っていたのだけれど、
飲み干せず、持ち越してしまうのが難点。
ワインは翌日に持ち越しでもいいけれど、それでも、
ちょっと飲んで満足しちゃうから、すっかり気持ちは萎えているんだな〜。
東京に戻ってきて、その手のお酒をちょっと飲みできる店が徒歩圏内にあるので、飲みたくなったらそういうお酒を出すお店に向かうことにしました。
小腹がすいていても、おつまみだって家で食べるよりそのお酒に適したものがあるし。
近所だし、「ちょっと飲もうかな〜」となって、夕食後とかにすっぴんで思いっきりスクラァフィな格好で出かけちゃう。
東京は、お店の人がズカズカ入ってこない程よい距離感もいいよね〜。
なんか、いろいろ幸せだなぁ。
今日も出かけちゃおうかな〜。
土地との相性ってなんだろう
1990年代、私は20代を新玉川線(現・田園都市線)の世田谷で過ごしました。
最寄駅でいうと、駒沢大学に2年、桜新町に10年近く(人生でいちばん長く住んだ)暮らしました。
必ずしもいいことばかりではなかったのに、
でも土地との相性がよかったのか、しっくり肌になじんでいた、ってことを、
懐かしく思い出す、というのとは違って、今、感覚がふと蘇ることがあります。
先日、渋谷で仕事があり、その後、仕事でご一緒だった方と昼食をご一緒し、
全力でめいっぱい食べたので、こりゃ腹ごなしが必要、と三軒茶屋まで歩くことに。
国道246号を歩くわけで、よく知っている道。
普段は、電車で向かい池尻大橋駅なり三軒茶屋駅なりで降りるか、
目的地と出発地によってはバス移動。
2000〜2010年代の20年はすでにこの界隈の住民ではなかったのに、
2010年代後半はなぜか来る頻度が上がり、
そして、先日久しぶりにしっかり歩いたわけですが、
ああ、この感じ、街並みもだけれど、陽の光とか空気感とか、
よく知っている、すっかりなじんでしまった、あの感じ。
心がほどかれ、安心する。
でも、だからといって、その界隈にもう一度住んだとして、しっくりくるかどうかはわからない。
変わってない部分もあるけれど、私も町も変わったんだから。
町との相性ってなんだろう。
数値化はおろか言語化すらできないな〜、今の私は。
よく知っている空気に包まれながら、そんなことをぼんやり考えながら歩いてしまったよ。
フィードバックしてもらえるありがたさ
メディアに関わらず、でしょうが、人の紹介で仕事を紹介してもらったり紹介したり、ということは多い。
私の場合は、いわゆる営業らしい営業をしたことがなくって、紹介がほとんど、だなぁ。
ある日、ライターを探している、ということで出版社の方にお目にかかったときのこと。
「原稿を手直ししてもいいですか」と念を押されて、びっくりしたことがあります。
もちろん、OK!
プロジェクトの裁量を任されて私が発注するときも手直しをするから。
それは、企画や媒体に沿った文体や表現にするため。
商業ライターはアーティストじゃない、自分の作品を作るわけじゃない。
読者やユーザーを見据えて、企画や媒体に沿った原稿を書くことこそが仕事ですから。
ウェブと紙媒体とではそもそもの書き方が大きく異なりますし、
さらに企画や媒体によって、キリッとした言い方にするかやわらかく話しかけるようにするか、
改行や改段落のタイミング、言葉使い(ひらがな/カタカナ/漢字、お客なのか客なのかお客さまなのかetc)など、細やかな方向性があります。
なので、新しい仕事の場合は、あらかじめマニュアルがあればもらいますし、過去のその企画や媒体のテキストを参考にして、さじ加減を調整するわけですが、なかなかピシッと確信できず、「このくらいかな」と探り探り。
原稿を書くこと自体は、もう長いことやっているせいもあって時間はそんなにかからないのだけれど、事実関係の確認とか、文体の調整は時間がかかります。
自分が発注する立場なのでよくわかるのですが、一過性の案件の場合は、いちいちフィードバックしない。
継続性のある場合は、こうして欲しい、ということを気づいたときごとだったり、まとめてだったりで伝えます。
先日、これから付き合いが長くなりそうだから、本来はお見せするものではないんだれど、と提出した原稿に編集部が入れた朱字をいただきました。
これ、すごくありがたい!
表現のさじ加減って、ほんと微妙なところなんですよね。いつも迷う。
それが、朱字を見れば、編集サイドが何を求めているか端的にわかるのです。
言い回しが気にくわない、趣旨と違う(受け手の問題もありますが、ほとんどは発注ミスだと私は捉えています)、という理不尽な朱字ではなく、
企画や媒体に沿った表現をするための朱字を戻してもらえたのは、
信頼も期待もされているからでしょうから、
朱字を手元において、求められていることを理解して、次回から原稿を納めたいと考えています。
私はあなたのお姉さんじゃないのよ
仕事関係ではそういう人はいないのですが、
プライヴェートでつきあいのある人で、私のことを「ねえさん」と呼ぶ人がいます。
この呼び方、はっきり言って嫌い。
こちらは相手の年齢やキャリアを気にしていないし、
お互いに敬語とか使わない、ってことは向こうもそうだと思うのだけれど、
にも関わらず、「ねえさん」と呼んでくる。
親しみを込めて、なのかもしれないけれど、フラットな関係なんだから名前で呼べばいいじゃない、と思っています。
他の人がいる前だと、向こうのメンツもあるし、
かといって深刻に正面切って、ってほどでもないし。
ふと思い出したのが、仕事を始めてまだ数年だった頃、
「社長じゃなくていいよ。○○さんと呼んでくれ」とにっこり笑いながら言われたことがあり、
そうなんだ〜、と思い、
「じゃあ、これから○○さんってお呼びしますね」と言った記憶が蘇り、
他に人がいないタイミングで、「ねえさん」と呼ばれたときに、
「私はあなたのお姉さんじゃないわよ」とにっこりふんわりと言ったら、
一瞬ハッとした顔になり、以降は名前で呼ぶようになりました。
うん。
にしても、この「ねえさん」って呼び方、どこから広まったんだろう。
芸人さんがメディアで言うから、かな。
公の場では「○○さん」って名前で呼べばいいのに。
楽屋オチというか上下関係というかを見せられているようで、あんまりいい気持ちはしないな。