書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

こういうのがひたすら楽しいのよね

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久しぶりな方から数年ぶりに連絡があり、

関わることになった新規プロジェクトについて相談に乗って欲しい、と。

相談というか、メディアや地方の視点に触れている私の立場から意見とかアドバイスとかを聞きたい、とのこと。

 

連絡をくださった方は違う業種の方で、

そこまで堅苦しいものではなく、ざっくばらんに話す中で違う視点でのヒントがあれば、というね。

 

久しぶりにお会いして、企画書を見ながら、わいわい。

先方が、私が別の業界にいるから、を期待してくださっているように、

こちらもその方の話が知らないことが多くておもしろい。

 

1時間半ほど、あれやこれや話して盛り上がって、

最後にこういうのはどう?と提案した内容で最高潮を迎え、

あ〜、こういうのが、ほんと、楽しい。

 

企画を決めるためのブレスト、みたいな、一見、半分他愛ない意見のやりとりはおもしろい。

そして、この一見他愛ない意見が後に大きな企画につながったりするんだなぁ。

時間を忘れて、口角泡飛ばしちゃうのよね、私。

 

最後に盛り上がった提案では最高潮に達し、

不意打ちというか、実はあまりのど直球というか、で、

「これ、最高におもしろいけど、どうやって会議で切り出せばいいんですか?(ふざけているのかと思われる可能性だい) ハードル高いな」と。

 

まあ、そこは頑張っていただいて、実現すればすっごくおもしろいよ!

私自身が真っ先に手を挙げて参加(?)したいもん。

 

 

先日もこの手のゆる〜い打ち合わせを、お昼をはさんで4時間以上もわいわいやってしまった。

こういうときの私は、普段閉じている引き出しをバタバタと開けて、ときどき違う部屋にも行ってそこの引き出しも開けて、みたいな状態になる。

くるくるくると猛スピードで頭の中がいろんなアイディアが疾走して、それがたまんないんだよね。

こういうのが本当に好きなんだなぁ、私、

 

言語障害、というのではないけれど

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おそらく私は適応能力が高いのでしょう。

新しい場所、そしてそこでの食事とか慣習とかにすぐ慣れる。

 

しかし、だからなのでしょう、元に戻すのが大変で、

離れていたのと同じぐらいの期間を要します。

それは、操れないにしても、言葉も同じ。

 

先日ふとした会話からそういえば言語障害とは違うけれど、そんな時期があったことを思い出しました。

いや、言語障害というか脳機能障害だったのかもしれません。

かつては使っていた脳の機能(回線かもしれません)をしばらくほったらかしにしていたので、再起動に時間がかかった、というか。

 

イギリスから帰国したときの私は、もうね、日本語が出てこないんですよ。

厳密には出てくるのですが、熟語が出ない、四字熟語は不可能。固有名詞(ホテルや飲食店、タレントの名前など)がよっぽどのものでない限り出てこない。

書く分には、これってどう言うんだっけ、と思い出しながらゆっくりと自分のペースで、でしたが、

話すのはぐったり、って感じで。

言いたいことはあるのだけれど、思うように喋れず。

語彙が小学校低学年程度だったと思います。

 

なんて言うと、さぞ英語が流暢になって、って思われるかもしれませんが、決してそうではなく、

そりゃ確かに、ある程度は、ではありましたが、

帰国した当時は、とりあえず詰め込めるだけ脳にパンパンに英語(言葉だけでなく考え方とか)詰め込んで、まだ脳の中にきちんと収められていなかった状態だったと思います。

 

英語の環境にすっかりなじんでしまったんだと思うんですよね。

帰国後も、夢はしばらく英語で見ていたし。

 

当時は、今のようにスマホで日本とも気軽にやりとりしたり情報を見たり、じゃなく、

携帯は持っていたけれどイギリス国内用だったし、

WiFiなんて夢のまた夢って時代で、ラップトップは持参していたけれど、

限られた場所で限られた時間でしかネットにつなげず

(ネットカフェなんてものもあった時代だからね)。

 

加えて、日本語環境を、特に言語を集中してやっていたときは意識的に遮断していたってことも大きかったかも。

日本人とつるまないようにしていたし、

その時点で、日本語も英語もおぼつかなかったので、とりあえず英語を第一言語で使うことが多かったし。

 

 

帰国してあまりに日本語がうまく使えなかったもの

(こんなことになるなんて、まったく予想していなかった)、

楽観的なので、そのうち、日本語を操ることも時間の経過とともに元に戻るだろう、

そうでなければ、その状態で生活できる手段を探るか〜、で、

結局、日本を離れていたのと同じくらいの期間を経て、

(おそらく)元に戻ったかな〜、です。

 

 

こういうのはいわゆる言語障害とは違うのでしょうが、

思うように言葉が操れないもどかしさを抱えていた時期が私にはあったので、

こういう記憶はときどき引っ張り出すと、

自分にも他者にもおだやかに接することができるように感じます。

 

思いがけないプラスなことが降ってくると、きょとんとしちゃうのね

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こういうことできるといいなぁ、と思っていて、ずっと停滞していたことが、

いけそう!という話になり、

その時点では、やった!なのですが、

加えて、こういうこともどうですか?という思いがけない、

予想もしなかったうれしい打診も。

 

いいですね! ぜひぜひ!となんとか応えたものの、

実のところ、きょとんとしてしまって、感情の処理がうまくいかなくって、

ハトがマメ鉄砲を喰らったような表情をしていたんじゃないかって思う。

実際にそうだったし。

 

まったく予想しなかったところから、プラスなことが降って湧いてくると、

うれしい!以前の感情、それは感情ではなくって、態勢かもしれないけれど、

無防備だったので、きょとんとしたまんま。

 

 

受け止めるにはあまりに大きく、自分ひとりでどうしていいかわからなかったので、

我慢できず、関わってくれている人に電話して呼び出し、事情を説明。

(普段、私は、関係性が近いパートナーに対しても突然呼び出す、ってことは、

よっぽどのことがない限り、ありません)

 

その方も、「えっ、えっ、ちょっと待ってください」と虚をつかれた表情をし、

2人で「落ち着いて」「落ち着いて」を繰り返す始末。

 

まったく予想しなかったところから、プラスなことが降って湧いてくると、

きょとんとしちゃうのは私だけじゃなかったのね。

 

 

うれしい!が最高潮に達するのは、こうだといいな、と予想できる範疇の延長に存在するのであって、

そうでないところから不意打ちのプラスが舞い込んでくると、

そういう、いかにもうれしい!な反応にならないんだ〜。

プラスの感情でフリーズする、ってこともあるのねぇ。

 

“ユニーク”という言葉にまとわりつく悩み

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決して悪い、と言っているわけではありません。

ただ、英語をはじめ外国語からやってきた言葉で、日本語としても定着するとニュアンスが変わるものがありまして。

 

そのひとつが“ユニーク”。

 

これ、日本語だと、

・おもしろい

・ユーモラスな

・独特な

といったことを意味合いで使われるかと思いますが、

英語だと、特に書き言葉だと異なり、

・唯一無二の

・ほかに類を見ない

となるんですよね。

 

 

なので、「あの人ユニークね」「あのお店ってユニーク」の場合、

日本語で意味するところは

・あの人おもしろい

・あのお店、個性的

になるかと思いますが、英語の場合はもっととんがっていて、

・あの人、相当変わっている

・あのお店、ものすごく独創的(ほかに見たことない)

といった感じかな〜。

 

 

で、いつも迷うのは、日本語で文字原稿を書くとき。

いつも英語のニュアンスが頭をかすめる。

なので、自分の中に迷いがつきまとうので、なるべく使わないようにしているのだけれど、ね。

 

同じような言葉、日本語の意味するところと英語のそれと違うものに

“フォロー”

があって、これも同じ理由から極力使わないようにしています。

 

 

交通網も店舗も早めにやめて、正解だったと思う

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9月最後の週末、日本列島を縦断した台風24号

日曜日の東京は、午後2〜3時ごろまで、晴天とはいかないものの、曇り空で、

風にいたってはないに等しく、

でも、JRを利用すると、20時で運転を取りやめます、状況次第では早まるかも、のアナウンス。

 

これ、先日の関西の公共交通機関の判断に倣って、

被害が大きくなるなら、その可能性があるのなら(結果、大事にいたらなかったにしても)、

その方がいいよね、という世間に声にも従った、というところでしょう。

 

 

結果、やっぱり、よかったと思います。

20時で公共交通機関は運休だし、デパートなども早い閉店で行けなかったところもあったけれど。

もっと早く知らせろ、なんて声もあったらしいですが、台風の予定は何日も前にはわからない。

移動をしていた立場としては、JRでアナウンスが頻繁に流れていたので、注意喚起は十分だったと感じます。

 

結果、夜中から明け方にかけて、東京都内は強風だった模様(寝ていたのでわからない)。

月曜の朝、交通機関が混乱していたので、運休しても線路に物が落ちたり(四ツ谷で倒木、なんてこともありましたね)の処理で、交通機関に勤務なさる方はさぞ大変だったかと(今も続いているのかな?)。

頭が下がります。

 

過去を懐かしがるんじゃなければね

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同窓会、ってものに興味はなく、

その理由は、過去を肴にしみじみし合うのはまっぴらごめん、で

(今、そして未来を話す方が断然楽しい!)、

意図的、ではないけれど、そういうのとは関係のないところにずっといました。

 

それが数年前からSNSの発達で思いがけないところで思いがけず同級生とつながり、

先日は高校の同級生の女性陣で東京で集まることに。

 

ええとですね、私が通っていた高校は女性が極端に少なく(今は違います)、

男女合わせて1学年400人ぐらいいて女生徒は50人いなかったんじゃないかなぁ。

 

その高校の女性同級生の東京の集まりで出席したのは私含め9人。

本州の最西端、山口県の高校で50人弱から9人集まるってえらく比率が高くない?

しかも首都圏在住者がみんな出席したわけでもないし(現住所が不明な人も、当然いるしね)。

 

大学から、仕事で、結婚して、

理由はさまざまだけれど、東京に人が集まるわけだ!

行きていく上で何に重きをおくかによるけれど、やっぱり圧倒的にずば抜けて便利だからなぁ。

妙なところで深く納得したりして。

 

 

でもって、高校を卒業して、30年以上経ち、

同じ年月ぶりの人もいたけれど、いろんな人がいておもしろいねぇ。

今の話が中心で、過去の話に終始しないのが何よりよかったし。

進んだ世界が違いすぎて、彼女たちと比較してどうのこうのはないけれど(というか、どう比較していいのかわからない)、

うん! がんばろー!と思った次第です。

 

 

ヤフオク!が使いやすくなっていてびっくり!

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久しぶり、おそらく2〜3年ぶりにヤフオク!を利用したら(買い手として、ね)、

以前に比べて格段に使いやすくなっていてびっくり!

 

すいすいすい〜、でこりゃラクだわ。

 

アイテムをチェックするときの、ウェブサイト画面の仕様なんかも進歩していたけれど(ような気がする)、

大きく、おっ!と思ったのが、

 

○売り手と買い手との間で、余計なメッセージを送り合わなくてよい
前は今ほど簡素化されていなかったので、ことあるごとに、発送方法の相談とか、入金の連絡とかでやりとりをしていたような。

(このメッセージのやりとり、しかも知らない人相手に、必要なこと以外の言葉を添えるのって(必須じゃないけれど)、ハードルが高い)

 

○支払いがラクになった

前もカード決済ってできたんだっけ? その際、手数料払っていたんだっけ?

よく覚えていないのだけれど、これもあっという間に終わった。

 

 

メルカリ、という大勢力が出てきて、それに対抗すべく、策を講じた結果、

ユーザーにとっては使いやすい、になったのは間違いないでしょう。

 

で、ですね、

物事は常に変化するから、

既存の自分の常識で捉えちゃいけないな、とつくづく。

自分の常識は他人の非常識、今の常識は過去の非常識、

ってことを肝に命じておかないとなぁ。

 

それは身をもって体験することで、初めて腑に落ちる形で更新されるのかもしれませんね。