余計な枕詞が多過ぎる!
無意識、なんだろうけど、またかぁ〜。
いかにも時代に沿うような物わかりのいい顔しているけれど、
こういうところに本音は現れるのよね。
物理学者、スティーブン・ホーキング氏の死去。
日本でのニュース報道が枕詞のようにいちいち“車イスの”って付けるけど、必要?
現代の物理学に偉大な功績を残した人、であって、
もし余裕があれば、最後の最後に“ALSと闘い続けた”じゃないの?
本来の実績よりもそれ以外の部分(それはマイノリティー的なこと)ばかりが拡大される、って。
これって本人に対してまず失礼だし、
感動ポルノと同じ、バイアスのかかった印象づけ、だよね。
私が子どもだった頃、イギリスの首相がバロネス・マーガレット・サッチャーだった時代があり、
お金欲しさに日本にも来ていて(当時の日本は、ね)、企業を多数誘致しましたっけ、ね。
その際、日本の取材陣に
女性首相うんぬんみたいな質問ばかり受けて、
「私は首相です、以上」みたいな返答をした記憶。
この図式、今も変わってないよね。
いちいち、女性をつける、という。その役割が昔のものと違っている場合は、男性も然り。
イクメン、って。。。(絶句)
保護者なら、男も女もなく育児はするもんじゃないの?
大多数じゃないことに、いちいち枕詞をつける、ってことは、
既存の価値観が大前提ってことにほかならず、
だから、それが本題じゃないときにも、いちいち
車イス、女性、男性etcをつける。
要りませんから。
本筋で勝負して、本質を見せてくれればそれで充分ですから。
したたかな人はそれを逆手にとった戦略をとっているけど、
そんなこといちいちする必要のない、フラットでニュートラルな社会がいいなぁ。
時間泥棒であることに無自覚な人たち
「とりあえず会いましょう」
何の予備知識もなく、準備もしなくって、ただ会って何の意味があるんですかね?
こういうのが実になることは、まず、ない。
行く時間、会っている時間、人の時間を奪っているという意識はないのかな?
「○○やって!」
企画概要はおろか、頼みたい内容、スケジュール、ボリューム、ギャランティなどの説明なし。
回答のしようがないんですけど。。。
それらを求めるとそれ以上連絡をしてこない。
予定を遅れても連絡をしない人。
予定外のことは起こるもので、それを責めることはしないし、その瞬間はあたふたしているだろうけど、
数時間後も数日後も連絡をしてこないって一体どういう心理なんだろう。
待っている時間(私だけじゃない、関わっている人含め)、
「どうなっていますか?」とお伺いを立てる手間。
そういう人に限って、
「予定が変わると、スタッフ全員の動きを調整し直すことになるんですよ〜」と言うと、
「そうですよね〜」としらっと返答。(ってことは、わざと連絡してこないってこと?)
いずれも、関わっている、その時間がムダ!
私の時間を返して! その分のお金を払って! って言いたいよ〜。
人は変わらない、から、なるべく関わらないようにする、そして、関わる場合は、警告と対策を立てる、ってことに落ち着くんだけどね〜。
表紙をめぐってかくかくしかじか
書籍の仕事に四半世紀以上関わっていて、
変わったなぁと思うことは数あれど、これもそのひとつ。
表紙をかなり先行して作ること。
中身がまだまだの状態なのに、概要を固め、そして表紙を作成するのです。
なぜかっていうと、アマゾンなどオンラインの告知や予約向け。
1カ月前には公開されるので、となると制作サイドはそれより早い段階でやいのやいのするわけでして。
今、進めている3冊の食書籍のうちの1冊の、ちょうど表紙を制作中。
写真やら色やら書体やら文字の大きさやら紙質やら、あれこれ検討するわけです。
出版社によって違うでしょうが、
決定権はこちらにはなく(意見は言います)、
出版社の編集担当者、営業や販売の方などが顔を突き合わせて決めるのがほとんどのパターン。
私は、思うところがあったり意見があったりはするけれど、求められない限り、またはさすがにこれは違う、以外は口を挟みません。
というのも、中に入り込んでいるので、引いたところから素直に見えないんじゃないか、って思うから。
現に今まで選ばれた表紙も、たいがい私がいちばんいいな、と思うのと違うのが選ばれるパターン。
さて、どんな表紙になるのか、蓋をあけてのお楽しみ!です。
PressReaderってどうなんだろう?
知人が利用しているPressReader。
世界の新聞や雑誌が閲覧できるデータサーヴィスで、
スクラップブックとしても、確かに便利だなぁ〜。
でもね、もうね、情報があふれていて、
これ!ってものはともかく、もしかしたら使えるかもレベルを自分から求めていく必要はある、のかなぁ。
情報を収集するよりも、選り分けて遮断する能力がこれからはより重要な気がするし。
ただ、長時間のフライトや滞在先のホテルにPressReaderが備わっていると非常にありがたい!気がする。
現に導入しているところはあるわけだし。
紙って重いしかさばるし、移動のときに持ち歩きたくないんですよ。
今さらながら、ではありますが、PressReaderに久々にふれて感じたことを、備忘録として。
“遅きに逸した”ってこういうこと、じゃないのかなぁ。
こういうニュースが流れるたびに、嘆く声ばかりが蔓延するのにうんざりするのは私だけでしょうか?
“遅きに逸した”ってこういうことなのかなぁ。
それが私の第一印象。
可能性が高い、なんてぐずぐずしてないで、スパッとやめちゃえば。
日本でのローラ・アシュレイって、清楚で〜、クラシックな花模様で〜、みたいな印象な気がしますが、
私の見立てでは、
1960〜70年代のヒッピー文化、フラワーチルドレンが、自らのアイデンティティを示すかのように、
文字どおり花そのものだったり、フラワープリントの服を着たりした時代があり
(この時代、私は日本で小さな子どもだったので、その頃のイギリスなりアメリカ合衆国なりの状況をリアルに知っているわけじゃないけれど)、
彼らに受けたんじゃないか、と。
時代が移ると、古ぼけてやぼったく見えるのは仕方のないこと。
多少は今っぽいかわいいものもあったりしたけれど、
なんでもかんでも時代を真っ正直に反映すればいい、ってもんじゃないけれど、
変えてもいいところは変えない、と、なんですよねぇ。
ところで、私、ライセンス生産って積極的に嫌い!
どうしても本来のものより見劣りがしてチープに見えるし、
あからさまにロゴやブランドをありがたがるのに付け込む商売だよなぁ。
メーカー側にしても、その価値を大きく下げる行為であるわけで、
A Day in the Life: 2011年3月11日(金)
その当時、私は東京は文京区目白台に住んでいました。と言ってもピンと来ない方も多いかと思うのですが、山手線内にあり、近くには日本女子大学、田中角栄邸、椿山荘、和敬塾がある、静かな邸宅街です。
最寄駅は有楽町線の護国寺駅。この日、私は午前中、東大病院で定期検診の予約があり、一般的には護国寺駅からいったん池袋に出て丸ノ内線に乗り換えて本郷三丁目駅で降りるのでしょうが、有楽町線と丸ノ内線は寄り添うように走っていて、なんだか来た道を戻る感じが嫌で、護国寺駅を通り過ぎ、ちょっと長く歩いて茗荷谷駅から丸ノ内線に乗る、ということをしていました。
定期検診が早く終わったら、五反田に行きたいところがあったのでちょっと寄ろうと思いました。その五反田もきちんとした格好で行く必要がなかったので、歩くし、病院だし、で、スニーカーとジーンズ、ノーメイクという非常にラフな出で立ちで家を後にしました。
定期検診は早く終わり、じゃあ、五反田に行こう、と東大病院からJR御茶ノ水駅に歩いて出ることに。あ〜、こんなところにうどん屋さんできたんだ〜、と、目についた、開店してまだそんなに経っていないうどん屋さんでお昼を食べ、近くのオガワ洋菓子店に寄り、春だもんね、と思いながら、イチゴシャンデを買い、もぐもぐ食べながら駅へ。
五反田の用事を済ませ、駅に向かい、五反田駅の直前で信号待ちをしているときに、ぐにゃんと揺れたような気がしました。貧血でぐらっとするときのような直接的なものではなく、包み込むようなぼやっとした大きな歪みでした。その数年前、私は出血過多の大貧血で緊急入院しました。その後もしばらくの間、ときどきふらっとすることがありました。
幾度となく体験した貧血のときの感じ方とは何かが違います。
一体、自分が揺れているのか周りが揺れているのか。
でも、周囲は何もなかったかのように日常が続いています。車は普通に走り、人々も普通に歩いています。
JRの五反田駅の改札をくぐりホームに出てしばらくすると、駅から撤去するようにアナウンスがありました。
そのときに、さっきの歪みが地震だと知りました。日本は地震が多いから、と言っていた外国人の友人を思い出し、地震で駅から出るよう言われちゃった、とメール。こんな経験をしたことがなかったので、そのことをシェアしたかった、ただそれだけの気持ちでした。
五反田駅近くのエクセルシオール・カフェでしばらく待機することにしました。
ここでもいつもとなんら変わらない日常が流れていました。待ち合わせの人、仕事をしている人、おだやかなGBMの中、コーヒーをすすっています。
時折、窓の外を見やると電線が揺れています。体感としてはない。でも、電線の揺れは余震だと思えたので、あ〜、これはしばらくは電車は動かないな、と確信しました。
はっと、この日が金曜日であることを思い出し、あっ、18時回ると会社勤めの人たちの帰宅時間が始まるからタクシーがつかまらなくなっちゃう、とエクセルシオール・カフェを出たのは17時ごろでした。
駅の反対側のバス乗り場やタクシー乗り場はすでに長い行列でした。
タクシーを待つ行列に並ぶこと30分以上。でもタクシーは一向に来る気配がありません。来たところで一体いつ自分の番になることやら。
これは歩いた方が早いな、暗くなって寒くなる前に帰ろう、と踏んでと歩き出しました。今日はスニーカーにジーンズで本当によかった、と思いながら。
五反田あたりの地理は詳しくありません。ただ、ざっくりと思い描くと、五反田から目白台まではひたすら北上すればいいということは分かります。
多分直線で10kmぐらい、でも歩く道だとプラスα、ということは迷わなかったら3〜4時間かな、まあ、迷ったところで今日中には帰れるだろう。
私は、文京区の前に世田谷に住んでいた期間が長く、その界隈は戦争時に爆撃を受けていないので街が自然発生的に大きくなったので、車だと一方通行が多いし、路地は入り組んで行き止まりになるところも多いし、を体験していたので、住宅街に入り込まず、大きな道を辿ることにしました。
そうすれば、途中途中で地図も出ているし、現在地も確認できます。
歩きながら、携帯で実家に電話をしました。地震みたいよ、交通機関マヒしてるみたいだから、歩いて帰ってるの、と。その後、一度電話してるからいいやと思ったものの、何度か電話をしました。でも、つながりませんでした。
サラリーマンやOLの方に途中、道を訊かれたりもしました。
夕方ですから、そろそろお腹がすいてきます。そういえばローソンのプレミアム ロールケーキってまだ食べてないから、いい機会だから食べてみようかな、と思い(一世を風靡してしばらく経ったころだったと思います)、寄ってみたけれど、ありませんでした。
ふと、大きな道路沿いって高いビルが多いよね、そこを歩いて帰っているのが災いして、ここで大きな地震が起こったら、イチコロだなと思い、であれば、最後の晩餐にせっかくだからどこかでとびきりおいしいものでも食べよう、という気持ちになりました。
麻布十番あたりを歩いているときでした。しかし、でも、その日の私はファインダイニングに立ち寄るにはあまりにラフ過ぎました。お店に悪いなと思っておとなしく帰ることにしました。食べてくつろいだら、歩いて帰るのが一気に億劫になる気もしたのです。
途中、ちょうど半分ぐらい歩いた神宮外苑あたりで、ものすごい人数の人が歩いている姿を見下ろす形で見かけました。うわぁ、こんなにたくさんの人が歩いているよ!と写真を撮ろうかと思いました。
でも、何かに、私の中の何かに憚られ、写真を撮るのはやめました。別段殺伐とした雰囲気があったわけではありません。そこにあったのは今日は仕方ないな、歩くとするか、ぐらいの空気感でした。
ようやく早稲田鶴巻町に出て来ました。もうこっちのものです。あとはよく知っている界隈で、この道で合ってるかなどと考えることなく、スムーズに帰れます。
まだ閉園していないのをいいことに、それが近道とわかっていたので椿山荘の庭園を横切り、ラフな格好で申し訳ないと心の中で思いながら建物をくぐり抜け、自宅に戻ったときは21時頃でした。
後日、地図を確認したら、ほぼ最短距離を歩いて帰ったことが分かりました。
まだ夜は寒く、さて、引き込みタイプのガスヒーターを点けようとしたら、点きません。引っ越してきた時に、災害時に自動停止装置が働くと東京ガスの方が言っていたことを思い出し、元栓を開け、暖房を入れました。
床においていた雑誌10冊ほどが雪崩を起こしていました。台所のオープン棚にあったティーポットが床に落ちて割れていた以外は被害はありませんでした。
冷蔵庫の上にオーブントースターをおいていて、その上に卵のパックをおいていました。その卵のパックは落ちて、冷蔵庫と壁の間に挟まれていました。驚いたことにひとつも割れていませんでした。
ふと森茉莉さんがなにかのエッセイで、卵を搬送している車が事故があったけれど、卵が無事だった、ということを書かれていたのを思い出し、卵って本当に不思議、生命の神秘だなぁ、と思ったりしました。
当時、私は月刊の食雑誌の外部編集スタッフもやっていて、その仕事がその月もこれからいよいよエンジンがかかるというときでした。デザイナーさんと進捗などを連絡し合ったときは(向こうもまだ事務所にいらしていた)、地震でしたね、今歩いて戻ったところです、ところで、○○の件ですが、とえらく淡々としたものでした。
ひととおり、やることが終わって、FBにアクセスしたら、外国人の友達からメッセージがいくつも入っています。
当時私は、FBを外国人の友達とのやりとりのためのツールとして使っていて(日本人の友達はほとんどいませんでした)、彼らがメッセージで、ツナミがツナミが、とよこしています。
津波? そりゃ津波も起こるだろうけど、地震じゃなくって?と不思議に感じました。
そんな中、映像を送ってくれた人もいてそれを観て愕然としました。慌ててテレビを点けました。
ようやくこの日の午後、一体何が起こったのか。なぜ彼らが津波と言ったのか、なぜ歩いて帰っているときに携帯がつながらなかったのかを知りました。
この後、あるときまで、4年前の2011年3月11日(金)の記憶が五反田から始まっていて、午前中の記憶と分断されていました。同じ日なのにまったく違う日の記憶として存在していました。
ずっと何をどう書いたらいいのか皆目見当がつかず、それ以前に書くということに考えがいたっていませんでした。
別段何かを言いたいわけではありません。記憶が風化する前に、トータルとして1日としてつながった2011年3月11日の記憶が歪曲する前に、東京に住んでいたひとりの人間の記録として残しておこうと思った、ただそれだけです。
不謹慎なことや不適切なことも綴っているかもしれません。でも、これが私が体験した正直なところの2011年3月11日(金)です。
改めて、亡くなられた方々のご冥福を深くお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に、心よりお見舞い申し上げます。
紙よさらば。舵取りをしないと船は沈むだけ
1980年代後半から90年代にかけて、
東京・新宿は小滝橋通りのレコード店を回りながら(もっともレコード自体は渋谷や下北沢、吉祥寺で買うことが多かったのですが)、
よく買ったのが、イギリス発音楽情報紙『NME』。
www.nme.com(ちなみに“NME”は“New Musical Express”の頭文字をとったものです)
もちろん現地調達もしていました。
ほとんどは処分したけれど、大事にとっている号もあります。
ただねぇ、ここ何年、いや10年以上か、はウェブで充分なのも事実。
この『NME』、私が買い始めた頃は表紙だけがカラーで中面はモノクロ(あれっ? 表紙も、だったかなぁ。。。)。
その後1990年代終わり頃だったか、(おそらく)DTPの普及によりオールカラーになり、タブロイド版から雑誌スタイルになったのもこの頃だったか。
その後、2000年代に入って、ライバル紙『Melody Maker』を吸収合併。
2015年には有料の雑誌からフリーペーパーに
(タウンガイドの『Time Out』も同じ頃だったような記憶)。
しかし、当然ながらウェブの一般化には勝てず、
ついに2018年3月9日(金)の発行をもって、66年続いた紙媒体を廃刊。
今後の情報発信はウェブメディア中心に、ようやく、というべきか、本格的に舵を切ったわけです。
まあ、これも時代の流れ。
でももしかしたら一周して数年後に紙が逆に新鮮で、週刊とはいかないまでも何らかの紙媒体を発行する可能性もあるわけで。
ロンドンは、WiFi環境はいいんだけれど、地下鉄に乗っていたりすると遮断されやすく、それもあってか、
また有料紙媒体はがんがん休刊しているものの、フリーペーパーの類はカラフル。
地下鉄やバスで読んでいる人が多いのはそれも理由のひとつではないか、と。
ざっと思いつくだけで駅に設置してあるものは、『Metro』(これは朝刊的な役割)、『London Evening Standard』(これは夕刊的な役割)、『City A.M.』(経済紙。早起きするか、電車で放置されているものをピックアップ)といった新聞に加え、
『London Evening Standard』の雑誌版(これは週刊)や、たま〜に『City A.M.』の雑誌版、ショップやアートギャラリーなどには『Time Out』や『NME』のラックがある、といった具合。
しかもフリーペーパーと侮ることなかれ、そのほとんどが敏腕アートディレクターを据え、ライター陣も豪華で、
タダでいいのかしら?といった充実ぶり。
このあたりのカラクリのひとつに広告があって、
たとえば『Time Out』は表紙はでん!とタイアップ(広告)だったりするわけです。
でも、いわゆる有料広告ではないから、いかにも広告広告したものではなく、
ちゃんとアートディレクターが手がけ、『Time Out』のカラーを出しながら、といった具合。
どの道、フリーペーパーは広告収入で成立しているわけだから、
この判断はかえってすがすがしい。
ただ、『NME』の紙媒体廃刊により、『Time Out』もいよいよじゃないか、って思っています。
日本のタウンガイドって、20年前と比較しても作りがあんまり変わらない印象のものが多い。
そのくせ、売上げが落ちていると言う。
これって読者の嗜好なのか、制作側がしがみついているのか、
後者が大きいんだろうなぁ。
誰も責任を取りたくないから、時代はこんなに動いているのに、抜本的な変革はしたくない、っていうね。
あと、雑誌のウェブ版が、単に紙の記事を転載ってどーなのよ。。。
(紙とウェブだと同じテーマでも見せ方が変わる、のになぁ)
内部の軋轢etcは容易に想像できるけれど、このままだと船は沈んじゃうよ〜。