書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

人は見たいものを見るんだなぁ

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昨年イギリスに行ったとき。

利用した航空会社は大きな荷物を2個預け入れ可能とのことで、

往きから大きなスーツケース2個、しかも1個はカラってのはなぁ、と考えていたら、

知人が、マチのある大きなビニールバッグを存在を教えてくれ、しかも貸してくれ、

折り畳めるし、高いもんじゃないし、自分でも欲しいな、と思っていました。

 

そんな風に思っていて、街を歩くと、

観光客がマチのある大きなビニールバッグを抱えている姿を目にするように。

 

そうそう、これ!

 

よくよく気をつけて見ると、総合ディスカウントストア、ドン・キホーテのもので、

あっ、そりゃそうだ!と納得。

 

ドン・キホーテに行くと、マチのある大きなビニールバッグは免税コーナーの壁にかかっていて、またしても、

そりゃそうだ!と納得。

だって、外国人観光客(だけじゃないだろうけど)がいっぱい買い物をして、それを入れるバッグが必要なんだもの。

 

そうそう、これ!

無事、購入にいたりました。

 

 

このドン・キホーテのマチのある大きなビニールバッグ、

欲しいな、と思ったら目にするようになり、

これって、突然、そういういヒトが増えたわけではなくって、

これまでも目にしていた、でも、興味がないと目が向かなかった、ってことなんですよね。

 

いかにバイアスがかかって物事を見ているのかの表れだなぁ、と実感したのでした。

 

カタカナを使うことはそんなにかっこいいのか

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世の中に氾濫している英語(もどき)表現が気持ち悪いし、

会議などでカタカナをちりばめられちゃうとなんだかなぁだし。

 

もちろん日本語にバシッと当てはまらない言葉はあって、

それは仕方なく、それだけでもそれなりに量はあるので、

それ以外の言葉は誰でもがわかりやすい日本語でいいじゃない。

本質がぼやけちゃうし、かえってダサいよ〜、って思っています。

 

 

簡単な言葉をわざわざカタカナにおきかえるってのもね。

“○○以下”でいいのに、わざわざ“○○アンダー”

におきかえるってなんなんでしょうね。

 

随分前、会議でローンチ、ローンチって言っていて

ロケットでも飛ばすのか? 船の進水式か?

って思っていたら、立ち上げのことだった。。。

立ち上げでいいんじゃないの?

 

 

そんな話をしていたら、

「カタカナ入れないとかっこ悪いんです」

「カタカナがあるとクライアントが納得するんです」

 

「小さなマウンティングですよね。“こんな言葉知ってて使える俺、かっこいい”ってね」

「わかっている、知っている武装に使えるんです」

だって!

 

 

ぎゃふんだわ!

いっそのこと、こういうのを逆手にとって企画を練ろうかしら。

 

体系的に総合的に、進めたいんだけどなぁ

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今年、2017年6月に、編集(実質、編集長というか、映画監督みたいな立場というか)で関わった書籍、『ドイツパン大全』。

自分が携わったものはかわいい、大変だった分、思い入れも強く、終わった今でも、ドイツパンときくとやっぱり気になります。

 

で、こんな情報が流れてきまして。

www.newsdigest.de

 

内容もですが、こういう体系的な思考回路にヨーロッパだなぁ、と思わされるのです。

 

 

私は、英語能力はケンブリッジ英検、ワインはWSETという

いずれもイギリスの機関のものを取得。

これらも非常に体系的です。

 

ケンブリッジ英検を例に出すと、

・リスニング
・ライティング
・リーディング
・グラマー(Use of Englishって呼んでいたと思う)
・スピーキング
と5つから総合的に評価。

 

もっと詳しくいうと、スピーキングの場合は、
・モノローグ
・ダイアローグ(2人で意見交換)
・ディスカッション(とまではいかないけれど、3人で会話)

となっているわけです。
ここで見られるのは同意する、反論する、それらを間投句(I reckonとかI’m afraid とかWell, let’s see とかOn the other handとか)を用いながらできるかどうかを見られます。
会話の内容そのものは重要ではありません。

(ちなみに発音は、よっぽどの場合は別ですが、さほど重要視されていません)

 

ライティングも文章が美しい、とかそういうのか評価基準ではなく、

英語能力を問うわけで、いかに時制(現在形とか、現在完了進行形とか、仮定法過去とか)を多く使えるか、

そういうのが採点基準です。

 

これらの基幹となるのが文法です。

こういうのをみっちりやり基礎体力がつくと、

この場合はこれ、という単純な言葉の置き換えではなく、

真意(その向こうにある意味)を探ろうとする姿勢に向かうようになるんですよね〜。

それが総合力であり、体系的に学ぶ強さかな、と。

 

 

私がイギリスで学んだクッカリースクールも

6人の生徒に対し1人のチューターがつく少人数制で、

公式や論理もきっちりやり、

応用で個性を出すなりアレンジすればいい、って考え方で、

コースが終わった時には料理、製菓ともひととおり基礎はカバーできる仕組みになっていて、

最後には試験もあり、いわばプロを目指すためのプレスクールみたいなところでした。

(このお料理をやりましょう、このお菓子を作りましょう、
 といったのんびりしたところでは決してなかったんです)

 

考えるのではなく従わせる、と言えばいいのか。

私が、学校や資格などで日本のやり方がそぐわないな、と感じるのは、この点、体系的でないところなんですよね〜。

いつまでたっても1+1=2ではなく、1+1を10にも20にもしたいタチなので。

 

 

ドイツのマイスター制度にしても、体系的にできているなぁ、と感じます。

ヨーロッパだから、なのかなぁ。

帝国主義だった時代、いかに大多数をまとめるか、しかも言葉や文化も違うところで、といった中で整理されて、

俯瞰で見る、体系的に捉える、全体を貫く姿勢がある、のがいちばん理解しやすいから、今も残っているのかしらん。

 

じゃあ、日本でなぜ弱いのか(少なくとも私にはこう映る)。

ricorice.hatenablog.com

 

でもふれたことと本質的には同じだし、いよいよ自分の中でなぜ?を突き詰める時期にきたようで。

 

私たちはどうやって生きるのか

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編集、研究という仕事柄、紙媒体、書籍の資料を求めることが多く、

そこには古いものも含まれるのですが、

残念なことに絶版になっているケースも少なくない。

丹念に作られ、資料性が多いものがあるのに、それは残念なことです。

 

絶版になったけれど、埋もれさせるには惜しい書籍の権利を買い、

今の時代に合わせて内容を見直しデザインを変えて、もう一度出版する、

って話を出版社の方から立て続けにきき、ありがたいことだな〜、と。

 

もちろんそこには、出版社側も一から新しいものを作るよりも、

すでにあるものなので企画提出がしやすく、予算をはじめ見通しが立てやすい、という側面はあるんですけどね。

 

 

古典、と言われるもののなかには、

読みたいけれど、長いし、文体がむずかしいし、みたいなものがあって、

たとえば源氏物語とか三国志とか、現代語やマンガでってのも少なくなく、

あ〜、ついに! そうよね、これもすでに古典なのよね! この手があったか!と膝を叩いたのが、

吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』のマンガ版。

headlines.yahoo.co.jp

 

古典ってとかくまったく古いものに向かいがちで、それも確かに注釈が必要だけれど、

何十年前のものだって、そうなんですよね〜。

今の若者と感覚が通じる部分もあるだろうけど、そうでない部分もあるだろうから、

こういうとっつきやすさって大事かもね〜。

突如、会食中にキリキリとした痛みが襲う

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まいった!

こんな経験、初めてしました。

 

ある日、仕事の進捗状況の確認&すり合わせ、今後の打ち合わせのため、

ちょうど区切りがいいタイミングだったこともあり、

会食兼ねて、リラックスしてやりましょう、と。

 

最初に、仕事の話をひととおりしてあとは、食事。

で、途中で、ちょっと貧血っぽいというか立ちくらみのようになったので、

でも、ときどき自分の身に起こり、10分もうずくまっていれば戻ることも経験上分かっていたので、

ちょうど小上がりの席だったこともあり、ちょっと失礼して、横に。

 

すると、10分ほどでおさまったかな、と思ったら、

突如、キリキリとした痛みがお腹を襲ってきまして。

タオルを噛みながら、痛みに耐え、

小康状態になったところで、トイレへ。

 

嘔吐、排便をすればよくなるかと思いきや、

汗が止まらず、痛みは相変わらず大きくなったり小さくなったり。

その状態が30分ほど続き、やっと落ち着きました。

 

後日、訊けば、内臓性腹痛(内臓痛)だと。

予兆や病変がなかったので、間違いないでしょう、と。

原因はストレスだそうで。。。

 

 

ストレスぅ?

まったくないとは言わないけれど、大きなストレスを抱えているとは思えないけど。

しかもご一緒だった方々は、気心が知れた、とは言わないけれど、

緊張を強いられるようなことは決してないのに。

 

ただ、何が原因にしろ、体が悲鳴を上げた、ってことなので、

暴飲暴食に気をつけようと思います。

(あっ、更年期障害ってことはないのかな?)

 

いたたまれない気持ち、ってこーゆーこと

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先日食事に行ったレストランにて。

隣りにいたのは上司と部下の女性2人連れ。

 

彼女たちの声が特に大きいわけではなかったんだけれど、

そのとき、私がひとりだったこともあって、

聞き耳を立てたわけではないのだけれど、時折話し声が聞こえてきます。

 

最初に席に通されたときに、彼女たちはすでにいて、

なんかどよ〜んとしているなぁ、と感じ、

果たしてそのとおりで。

 

部下と思われる女性が(おそらく)会話の糸口を見つけようと一生懸命話しかけるものの、

「あなたってほんと、何も知らないのね〜」という見下した態度で実際に口にもしていて、びっくり!

 

 

なんだか、とおおおおおってもいたたまれない気分になってしまった。。。

「あなたってほんと、何も知らないのね〜」が、知らない人もいるだろうなぁ、という内容で、

そこまで言うかぁ。

まあ、「あなたってほんと、何も知らないのね〜」の言語外にあるのは、

「あなたが嫌い」ってことなんだろうけど。

 

どーでもいいことで威張られて否定的な態度をとられて、

もちろんここまで来るにはいろいろあったんだろうし、根本的に相性が悪いってこともあるんだろうけど

 

 

同時に、「あなたってほんと、何も知らないのね〜」って危険だなぁとも。

そこにあるのは「私はこんなに知っているのよ」(現にその女性は、ひけらかしと見下しをやっていた)で、

でもね、物事って100%知るってことはないわけで、

知れば知るほど、自分が具体的に何を知らないかが浮き彫りになるわけで、

むしろ謙虚になっていくんじゃないかなぁ、って気がするんだけど。

 

生涯現役、が似合う人もいる!

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現在私がやっている仕事は、

・イギリスの食研究
・ブログなどの個人発信のためのアドバイス

もあるのですが、長くやっているのは、
・食についての雑誌や書籍、ウェブサイトの制作
です。

 

なかでも、書籍で編集(実質、編集長。映画でいうと監督)の立場で、

企画、構成から関わると、最初から終わりまでがっぷり、

ひとつのお店が取材対象であれば、ある一定期間、定期的に顔を合わせることになります。

 

 

数年前、還暦も過ぎて、もう厨房仕事は厳しいから、と引退なさったシェフがいらっしゃいました。

すっかり悠々自適にのんびり過ごされていると思いきや、

今年に入ってお店をオープンされた、とのこと。

 

東京で仕事をしている最中にその話をきき、仕事が終わったその足でお店に向かいました。

(予告なしで、申し訳ないと思ったのですが、チャンスを逃すまい!と)

 

 

小さいけれど、そのシェフの世界がぎゅっと詰まったお店。

ご夫婦2人で、やりたいことを楽しみながらやってらっしゃるのがひしひし伝わってきます。

 

「引退したらヒマでね〜。ほかにできることなくって」

なんて謙遜なさっていましたが、本当に厨房に立つのが好きなんだなぁ、ということが体からにじみ出ていました。

 

「お店をまた始めるのって大変じゃなかったですか?」と訊くと、

もう楽しくって、楽しくって、と。

実際に運営が始まるまでは、ああしたい、こうしたい、の夢が少しずつ形になっていく時期で、本当に楽しいかった、と。

 

 

悠々自適の生活はそれでそれでいい。

自分はどうかな〜。

じっとしているのが苦手でちゃかちゃかしている方が断然性に合って、

なのでこういう風に、いったん引退した後でまた新しいことを始められた姿って、エネルギーを分けてもらえたようで、それがうれしい。