書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

思いがけないうれしいことが糧になる

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メディアの仕事に関わるようになって、

書籍にしろ、ネットメディアにしろを眺めるのは、大なり小なり仕事の側面があります。

資料用だったり、自分の引き出しを増やしたり。

純粋にじっくり読んで楽しむ、ってのは、一般読者だからこそできることで、

仕事が絡むとそうはいかない。

 

雑誌も同様。

仕事として、食関連はじめ、今の情報を俯瞰で知るためで、

それはありつつも、いち読者として素直に楽しめるものってほとんど、ない。

 

とはいえ、まったくないわけではなくって、

2000年代であれば、「X-knowledge home」と「西の旅」

(「X-knowledge home」はほとんど買ったなぁ。私は“brutal”と評されるモダン建築が好きなのです)。

今も、となると、「TRANSIT」と「WIRED」。

どちらも創刊の頃から、ときどき買っている代物。特に「TRANSIT」は購入率が高い。

 

雑誌の定期購読はしないんですよ。

それだと買うことに重きが置かれて、ほっといても届くので、読まなかったりする。

アナログだけれど、本屋さんでパラパラめくって、おもしろそうだったら買うパターン。

 

「TRANSIT」のこの号は特集を知って、欲しいな、と思いつつ買い忘れ、

2016年秋、朝食を食べに訪ねたロンドンのカフで店員さんと喋っていたら、

「うちの店、こないだ日本の雑誌に載ったんだよ」

(そのお店が言っていたのが、「TRANSIT」だったかどうかは不明)

と言われ、はっと思い出したものの、帰国して、またしても忘却の彼方に。

 

先日、ふと記憶の奥底から蘇り、発刊されて1年近く経ってやっと購入。

私が買おう買おうと頭の片隅にあったその号、「TRANSIT」33号の特集は、

“美しきヨーロッパ スイートな旅をしよう”。

 

 

ぱらぱらめくっていてびっくりしたよ!

参考文献に自分の著書『イギリス菓子図鑑』が載っている、しかも最初に!

(最初にあるのは重要度順ではなく、あいうえお順、でたまたまです、念のため)

メディアに携わっている人間のクセで、ついついクレジットも見ちゃうんですが、

まさか自分の著作と名前にお目にかかれるとは!

 

自分が愛読している雑誌に載ったからうれしい、

ってのはもちろんあるのですが、

こんな情報が欲しかった!という世の中に役に立つものを作りたいんです、

制作側の立場としては、私の場合。

(余談ですが、自分の本を出したい、って人はエゴである場合はほとんど。

 そんなの、誰が読みたい?

 お金を払って買ってもらう価値、本だと情報になりますが、

 それは世の中が欲しているものでないと意味がないのです)

ricorice.hatenablog.com

 

なので、こうして参考文献に使ってもらった、ってことは、

世の中の役に立つ情報を提供できた証し。

なによりも、それがうれしかったな。

 

こういうことがあると、自分の立てた企画、そして制作物が間違ってなかった、

という評価になるわけで、

そういうことをこれからもやっていきたい、大きな励みになります。

 

アスクルかアマゾンか、もしくはどっちもか

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フリーランス、つまり個人事業主になって以来16年、

文房具やオフィス用品、ときに家具(インダストリアルっぽいのがいいのです)も

アスクルのお世話になっているけれど、

そういえばここ数年はものによってはアマゾンも使っているなぁ。

 

な〜んて思っていたら、アマゾンが「Amazon Business」をひっそりとオープン

(日本はこれから本格的に。欧米ではすでに始まっています)。

公式オープンに先行して、

法人ユーザーのアカウント登録の受け付けを開始しちゃってるじゃないの!

www.amazon.co.jp

 

個人事業主の場合は、以下の登録書類が必要とのこと。

・開業届出書: コピー1部

・過去2年以内の所得税青色申告決算書: コピー1部

・過去2年以内の青色申告承認申請書: コピー1部

 

とりあえず登録しとくか〜。

 

なんというか、やることがいちいちわかってるなぁ、アマゾン!な気分に陥っちゃう。

こうして、ますますアマゾンなしの生活なんて!に突入しちゃうんだろーな、いや、すでにしていて、それが加速するのか。。。

思う壷ではありますが。

 

 

っと、「Amazon Business」、ユーザーのみならず、出品者も募集していますよ〜。

https://www.amazon.co.jp/gp/b/ref=pe_2205932_274304372_AB-EM-P1-BB-SA1/?node=4851167051

失言じゃなくって事実であり本音でしょ?

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もちろん中には素晴らしい人はいるけれど、

大概として、これ、地元の人の前では公言しないだけで、

お客様+ちょろっとでなく、少しでもがっちりと仕事に携わった

東京ベースの人は大なり小なり同じ思いじゃないかな。

headlines.yahoo.co.jp

変な平等意識で、被害者意識丸出しの袋だたき。
だから地方は、って方向にますます加速するってのに気づかないのかしらん。


・お山の大将でいたい

・なあなあのお友達ごっこが楽しい
・よそ者の意見はききたくない

要は現状をかき乱すな、ってことでしょ。
フラットな意見を侮辱や非難と捉える、そんなところに未来はないよ。

 

公共事業ならいざしらず、
こういう意見もある、この会社はそういう判断をしてる、ってことに過ぎない、けどね。

嫌だったら不買するなりすればいい。

 

 

なんでも公式ウェブサイトで謝罪されたようですね〜。

これで、こういった耳の痛い、でも本当のところはますます出なくなり、

とはいえ、御意!と思ったところは多いだろうから、

言っても通じない、現実を直視したがらないとあらば、

目に見えないところで、ますますその方向に進むでしょう。

 

耳当たりのいいきれいごとばかりを聞きたがり、

それをゴリ押しして、自分で自分を甘やかす、
それが地方をダメにしている原因だよ〜。

文句があるなら、非難するヒマがあったら、
これをカンフル剤にしてやる、って気概を見せてみな!

 

編集者とは何だろう?

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全然関連性がないのに、仕事が集中したり(その逆も然り)、似たような話題が続いたり。

こういうことよくあります。

 

先日、人と会うごとにそんな話になったのが、

“編集者がいない。そもそも編集者とはなんぞや”

 

 

うむむ。

編集者ってわかりづらいので、私は人に説明するときに、

映画監督のようなもんです、って言っています。

自分で演じたり撮影したりする人もいるけれど(編集の場合は、執筆や撮影など)、

基本は、制作指揮。

全体を見渡す現場の責任者ですね。

 

編集者がいない、ってのは

・責任を負いたくない
・俯瞰で見るのが苦手
ってのがあるんだろーなー、って感じています。

 

それと、

・手離れが悪い
最初から最後まで関わるなので、長期間拘束となり、
さらにいうと、
・納品してからの入金になるので、仕事をしている間ギャランティが発生しない
(長期に渡る場合や制作費がかさむ場合は、先に、あるいは途中である程度ってことはあります)
それも理由かと。

 

 

“編集者がいない”ってときの言外にあるのは、

“企画を立て具現化する人がいない”。

 

編集の仕事は、

作業内容が煩雑で、人とのやりとりが多い。

たとえば、誌面の体裁を考えたり、デザイナーさんに発注したり、あがってきた文字原稿を校正したり、

ってなことを同時進行であれやこれや、となります。

 

で、これを進めるためには、屋台骨が必要になります。

これが構成、ってことになるのですが、

つまりどうまとめるか、ってことですね。

まとめること自体も簡単なことではないのですが、

ここに新しい視点や切り口を加え世の中に伝えることこそが、編集者の仕事だと私は思っています。

 

平たく言うと、

「ねえ、見て見て! こんなおもしろいことがあるんだよ!」

「こうやった方がぐっと今の時代便利じゃない?」

ってことの提案するってことが、ね。

 

 

リスクを冒したくない(責任をとりたくない)のか、

とりあえずやんなきゃ、なのか、

まとめるだけのものはたくさん世の中にあふれているけれど
(だからこそ1円ライターとかキュレイター問題が発生する)、

へええ〜、おもしろい!ってものは少ない。

他でも似たようなの見たって既視感のあるものにあふれている。

 

要するに企画が弱い、ってこと。

技術は後から追いつくし、無理なら人に任せればいい。

まずは、こーゆーおもしろいよ!のわくわくをたくさんの人に知って欲しい、

って思いがあって初めて、じゃあどう作る?になるのに、

とりあえず形にすることに比重がおかれている気がしてならないのです。

(“編集者がいない”は、目の前のことをこなすのに追われ、考えることをないがしろにしてきた、

 自分で自分の首を絞めた恰好なんだろうなぁ)

 

書くこと自体は時間かかんないんだけどね

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ライティング(執筆)も私の仕事の一部で、

コピーライティングやタイトル命名の短いものから、メニューやアイテム、店紹介、調理や製菓技術、経営などを掘り下げてきく話、

ルポルタージュ(調べもの)や書籍1冊の聞き書きまで、

出版からウェブ、広告まで、

あれやこれやとやっているわけですが、

つくづく書くこと自体は、全体の作業のせいぜい5%ぐらいってのが実感。

ricorice.hatenablog.com

文章の長い短いは関係なくって、

頭の中の樽にぽいぽいと素材を入れてじっくり熟成させる時間が必要なのは、

短いものとルポルタージュ(調べもの)。

というのも、紹介記事や聞き書きと違って、素直さが低いから。

ひねるにしろ結果としてストレートにいくにしろ、構成とか言葉選びとかでうんうんうなってしまう。

 

 

おもしろいもので、熟成させているときに“引き上げるのは、今!”って瞬間があって、

そのタイミングを逃さずに、一気にガーッと書き上げるのが私のパターン。

とにかく熟成が終わったものを早く外に出す、って感じで、

てにをはの間違いや固有名詞や年代など事実関係の整合性をとるはその後。

 

熟成は主原料となるもののほかに、途中途中で様子をみながら、

補足資料などの副材料を入れて、バランスをとっていく。

そのときって、文字通り、頭の中で熟成させているんですよ、これが。

 

論理的な組み立てってのは私の場合しないので、筆の赴くまま。

書いていくうちに思わぬ着地点や話の強弱や取捨選択があって、

これに毎度ながら我ながら驚く。

 

 

早い段階で“今だ!”の瞬間が来るってことはなくって、

たいがい締め切りには少しの余裕がある段階。

やっぱね、ある程度熟成が進まないと、複雑味のあるものはむずかしいのだよ。


書いているときは自分の体がマシンと化している。

脳とタイプする指が直結しているイメージで、そのスピードは速い。

それまでの熟成のための材料集めと、いったん書き終わってからの推敲や校正/校閲作業ってのに、書くことよりもずっとずっと時間がかかるんですよ〜。

 

 

風評被害って言葉、間違ってない?

 

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地震、台風や洪水などの自然災害。。。

思いがけないことが襲ったあと、そこの場所に足が遠のくのは、

私はごく自然な心理だと捉えています、特に観光では。

 

同じことが起こるのではないか、ってのもあるでしょうが、

気を遣う感じも足が遠のいてしまう、

素直に楽しめない空気感になってしまう、も存在すると思うのです。

 

 

その足が遠のく行為を風評被害と批判するのってなんなんだろう。

現地の人や、関わっている人が、

状況を報告すること、問題ないですよ、と広く伝えることは大事だけれど、

自分たちの経済が大変だから来てください、ってのは余計なひと言。

全然お客さん視点じゃないよね、自分たちの都合だよね。

そんな場所には行きたくないなぁ。

 

現状を踏まえた上で、

「じゃあ、行こう!」

「今はやめておこう、もう少し様子をみてから」

どう捉えるかはその人次第。

それを“こうすべし!”ってのは、しかも自分たちの都合で言うのは、違うと思う。

 

本当にお客さんの立場に立つのなら、キャンセルの人に対して、

「心境お察しします。今は仕方ないですね。でも、落ち着いたらまた来てくださいね」

ってセリフが、たとえ強がりでも出てきていいんじゃないかなぁ。

 

 

今こそそこに行きましょう!ってのをアピールできるのは、

実際に予約を取り消さなかったり、だからこそ訪ねたりする、お客サイドの人だと思う、現地の人じゃない。

実際に行動した人が

「楽しかったよ」「よかったよ」「大丈夫だったよ」

言ってこそ初めて実態と実感が伴うわけで。

 

 

風評被害って、つくづく実態のない体のいい言葉だと思う。

言われた方は人でなしなことをした気分に陥れる。

なんでもかんでも風評被害と言えば、言葉で責め立てる行為、

風評被害じゃなく実被害もあるわけで、そこを検証もせず感情論で、

ぎゃあぎゃあ責め立てるのって、みっともない!

今さらながら、ニトリに心くすぐられる件

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最後に行ってから10年ぐらい経ってしまいました。

その当時は郊外型の大型店が主流で、話題になっていたこともあり、

車持ちの友人についていったものの、

おいてある商品のルックスが今ひとつふたつそそられず。

 

今すぐ必要なわけじゃないから、ほかで気に入ったものに出合うまでいいや、と買わずじまい。

それがそのときのニトリ体験でした。

 

ここ数年、郊外だけでなく、街中のショッピングビルにも入るようになり、

私の行動範囲にもニトリが登場し、

でも、そんな経緯があったので、へぇ〜、ぐらいの認識。

 

先日、急遽やかんが必要になり、

20年近く電気ケトルの生活なので、やかんは持っていなくって、

仕方ないなぁ、と思い、ニトリへ。

 

いやぁ、びっくりしたね!

デザインも、色味も、くすぐられる商品が多い!

そのとき、私は1ℓ用のやかんが欲しくって、それもちゃんとある!

アイテム数自体は多くないけれど、

ほかに2.5ℓとか逆に小さいサイズもある!

 

しかも、やかんは湯を沸かすためので、

ぎりぎりまで水を入れると沸騰した時にあふれちゃって大変なことになるのだけど、

ちゃんと内側に、ここまでですよ〜、というのが示してある

(カップ麺のお湯を注ぐときの目印みたいなの)。

これは親切!

 

 

ついでなので、ぐるっと見て回ると、

もちろん実用品ではあるけれど、

トレンドを意識したものや遊び心もあるアイテムが揃っていて、楽しい!

 

これまで、急ぎで必要な生活用品が出てきたら、とりあえず無印良品でした。

が、私、無印良品ってデザインがZEN過ぎて好きじゃない。

もっと持っていて眺めていて楽しいものが欲しいもののがよくって、

でもそれを満たしてくれるところがないがために、やむなしだったけれど、

今度からはまずはニトリだな!

 

手頃な値段で、決め過ぎないかわいいデザインで、

あ〜、これ大人がお小づかい握って雑貨を買う感覚だな!

(カジュアルな輸入食品店、カルディにも同じノリを感じる)

今さらながら、ニトリのすばらしさを知った次第です。