書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

1位を獲りにいく! いつもそう思ってるよ

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書籍が出版される経緯やタイプはいろいろあります。

とりあえず、今、これが売れてるから本にしよう、とか、この人のネームバリューで、ってのはよくあるもので、話題本として取り上げられるのもこの類。

企画も通りやすい。

 

これはこれでいいのだけれど、私自身は、

すでにあるものではなく、欲しいけど今までなかった、それも突飛なものでなく、視点をちょっとずらすというか、ありそうでなかった、かつ、息の長いものを作りたいなぁ、と思っています。

なので、すぐに類書がない(だから作るんだろ!)とかパブ/広告が(まずは企画だろ!)とかって言われると、ああ、この版元の担当者とは話にならないな、と見切りをつけます。

企画自体に関心を持ってくれる、おもしろいね!とか、もう少しこっちの方向の方がいいかも!とか、いいけど今うちが出す内容じゃないなぁ、とかならいいんですけどね。

 

で、欲しいけどなかった、ものって、これがむずかしいんだなぁ。

100人中80人がぼんやりいいんじゃない、と思っているものは、

そういう類のものが世の中に出回っていて認識もされているけれど、

強烈に欲しかったものじゃない。

だから、結果として素通りされる。

 

100人中2〜3人がそうそうこれ!ってものは圧倒的に味方になってくれるから、

そこは強い。

立ち止まって、手にとって、買ってくれる。

その分母を増やしたい。売れて欲しい。

 

ジョン・レノンが極私的なことを歌いながら、一見相反する大衆性を獲得したってのは、

本当に革新的かつ革命的なことで、

そこには、今まで公言していなかったけれど私もそう!って人が

世の中に大勢いたからだと思うんだな〜。

 

 

私は、いいものを作ったから多少売れなくても、とはまったく思っていなくって、

いいものを作った以上、よりたくさんの人に届けたい、

(おもしろいもんで、読んでくれた人を裏切らない、いいものを作りたい思いは自分の内へ内へと向かうんですよね、誰かとあの作品と比べる、じゃなくって)。

 

そうして、作ったものは人の支持/共感を得たい!とも思っていて、

その返答は売上げというわかりやすい形で返ってきます。

目に見えやすいところでは、Amazonのランキングとかで1位を獲得したいし、

いつもそのつもりでやってるよ!

 

なので、先日発売になった『ドイツパン大全』がAmazonのパンカテゴリーで1位を獲ったとき、

そしてその後も1位を行ったり来たりしているのはやっぱりうれしい。

発売から日数が経ち、このあと1位を獲得するのはむずかしいかもしれないけれど、

ランキング上位には常に入りたい。

それだけの内容(&お値打ち価格)と自負してるし。

 

 

リングに上がる以上、負けるのは嫌い。

負けたらほかの戦法で勝ちに行きたい。

そして評価されるときは真っ当に評価されたい。

 

それにしても1位は気持ちいい! 上位とはいえ2位以下とは全然違う!

それがどんな些細なことでも、大きな励みになるよっ!

次も獲りにいくっ!って思っちゃう。

冗談か本気か、いずれにしても話題にはなるわけで

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今春だったかなぁ、この雑誌の創刊の話をきいたのは。

さして興味も抱かず、へぇ〜、相変わらずだなぁ、ぐらいに思っていたのですが、

先日、これ(↓)を見て、俄然むくむくと興味が沸いてしまった次第。

【追記あり】高齢男性向け新雑誌「GG」のコンセプト「ちょいワルジジ」が史上稀に見る最高の反面教師だと話題に | BUZZAP!(バザップ!)

 

いやぁ、今の時代に全力で逆行しているこの手合い。

本気だったらサイコパスか?だし、手の込んだ精巧な冗談だとしたら質が悪い。

ただ、見事に「これぞ思いっきり反面教師!」として話題にはなるわけで。

思うつぼかしらん。

 

それにしても、こういう雑誌の企画が通ったなぁ。

それとも、これが、ジジどもの本音なんだろーか?

ものごとの決定権をくだすジジどもが雁首揃えて考える「これはいける!」なんだろーか?

 

自称グルメ気取りのおっさんたちも間違いなくこの類だなぁ。

やたら通ぶる、やたら薄っぺらい解説する、やたら首を突っ込む、やたら食イベントに顔を出す、いかに食べ歩いているかを自慢する、そして自分の気に入らないことは糾弾する、マウンティングする。

優位に立ちたい、認めて欲しい、は別で発散して欲しい、と切に願います。

 

逆に、明確な目的意識(試験とか)があって、熱心に勉強する人たちはエライ!と思った。

私がWSET(ワインとスピリッツのコース)やフランス語を学んでいたとき、

クラスメイトにはおじさんもいて、彼らは一生懸命で、下手したら孫に当たるぐらいの若い子たちに教えを請い(私自身は年齢は関係ないと思っているけれど、世間はとかく年齢を言いたがる)、わからないことは質問をし、な姿にはこっちも励みをもらった。

行ってみたいお店があるけれど、女性が多いし、いつもと違うタイプの店だし、気遅れがするから一緒に行ってくれないか、というおじさんもいいなって思った。

まあ、これらもさじ加減ひとつでしょうが。

 

下心よりも素直さの方がずっとかわい気があって好印象だよ〜。

モテにつながるかどうかはわからないけれど、少なくとも下心満載よりは結果として可能性は高いと思います。

 

それにしても、このコンセプト、10年以上前は思いっきりもてはやされていたのに、

今や、180度変わってしまったかのようなこの風潮。

時代は変わる、だよ。

無理して迎合する必要はないのけれど、時代への嗅覚はなくさないでおきたいもんです。

 

鳴り物入りで始めたものの

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ここのところ、やる気満々でスタートした

(情報発信を目的とした)ウェブサイトやFBページの更新がないんだよねぇ、

と聞くことがあり、妙に納得した次第。

 

大きな会社できっちりそれをやる部署があったり、

プロにアウトソーシングしたりしていれば、別ですが、

これらはいずれも個人もしくは個人に近いところで運営しようとしていたもの。

 

ふむふむ。

ブログが続かない構造もまったく同じですね〜。

 

 

ここで浮き彫りになるのは、

  1. スタートするのは簡単、でも問題は継続すること
  2. 空き時間にちゃちゃっとやろうとしたこと

 

1と2は相互関係にあるわけで、

ウェブメディアの場合、更新がないものはまったく意味がなく、

開店休業は百害あって一利なし。

せめて公開を自分だけにとどめておくようにしたいものです。

ricorice.hatenablog.com

 

じゃあ、なんで続かないのか?

ネタや企画などもありますが、2の空き時間にやろう!という発想が間違い。

結果として空き時間を利用するのは構わないのですが、

決まった日時に時間を確保して、必ずやる、ことが肝要かと。

 

いつもは朝やるけれど、予定が入ったので、夕方のすきま時間を利用して、

ってのはありだけど、

時間があいたらやろう、だと、いつまで経っても時間はあかないもんなんですよね〜。

 

ウェブメディアの場合は、日々(長くてもその間隔は数日)の連続になるので、

特に慣れないうちは、食事のように生活のなかにリズムを組み込むのがいいのかな〜って思います。

There’s no place like Tokyo

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数年前に住居こそ福岡に移したものの、今も私の仕事の軸足は東京にあります。

普段の仕事は自分のスペースで事足りるのですが、

重要な打ち合わせだったり、撮影だったり、はどうしても行った方が早いので、

そのため、2カ月に一度のペースで東京に出向いています。

 

同時に、東京および東京発信の全国視点で地方を切り取るという企画に携わることもあります。

 

そんな感じで、視点が、地方と東京の複合、おまけにイギリスの食もやっているので、そこに外国も加わり、このあたりで意見を求められることもしばしばあります。

 

住むのはどこでもいいし、自分の目の前の仕事をする分には場所は関係ないけれど、人と会ったり情報を得たり遊んだりするのは、日本では東京に勝るところはないなぁ、とつくづく思うのです。

まあ、これは私が情報を扱う仕事をしているから、ってのもあるのでしょうが。

 

 

日本の中で東京は、情報の集まり方や種類の多さや幅の広さ、ジャンクもある一方でぐんと質の高いものが集う、ありとあらゆることがずば抜けています。

圧倒的に刺激に満ちている。欲しいものがいとも簡単に手に入る。

 

こういうことを言うと、すぐに怒り始める人がいるのですが(それは都会=いい、という前提だからでもあるからでしょうが)、大阪とか名古屋とか札幌とか仙台とか金沢とか広島とか福岡とかと並列して東京はありません。

まったくちがう、突出した地点にいます。

とかく、同じ土俵で語りたがりがちですが、まったく違うと思ったほうがいい。

 

よく東京をライバル視する人がいるけれど、東京は地方をライバルとはまったく思っていない。なぜって眼中にないのだから。

ちょっと何かが東京より優れていたからって、鬼の首をとったかのようにはしゃぐの、みっともないからやめなさい。

都市としての総合的な魅力、という意味では、今の地方は足元にも及ばないのだから。

(それが証拠に人口は減っていないでしょう)

 

 

結論。

地方はリトル東京を目指す必要はないし、東京に競合の多いところで戦いを挑まないほうがいい。ほとんどの場合、まず勝てません。これはもう、レベルが違うから、としか言いようがない。

ワールドカップと子供の地方予選ぐらい差があるのだから。
もちろん、後者が世界を制す可能性も否定はしませんが、確率論でいうと、ゼロではないけれどゼロに近い。

 

じゃあ、地方はどうするか。

東京ではできないことを考え抜いて実践するのが最善の方法だと思います。

そして、それがそこにしかない、そこでしか得られない魅力につながるんじゃないかな。

 

 

でもって、東京も世界の中の都市としてどうかというと、

圧倒的に優れている面もあれば劣っている点もある。

東京がなんでもかんでもイチバン(特にアジアで)とうぬぼれている人は北京でもバンコクでもロンドンでもベルリンでもリオデジャネイロでも観た方がいい、と思うな。

度肝を抜かれること、いっぱいあるから。

若者より高齢者の方がていねい、かぁ〜?

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あるニュースで、飲食チェーン店の人材不足で、高齢者をアルバイトとして積極採用している、と。

ここまでは、別にいいんです。

そのなかで

「年寄りは若者にはないていねいな対応を客にする」という解説が。

 

これ、首を傾げちゃうなぁ。

概して、若者の方が礼儀正しいし、社会性もあるし、って思っちゃうけど。

高齢者、というより、その手前のおじさん/おばさん世代が一番質が悪い人が多く、

あ〜、民度が低い、ってこいうことを言うんだよね〜、ってことに遭遇するんだけど。

 

私の印象は、礼儀正しく社会性がある順は

若者 > 高齢者 > 後期中高年

なんだけどな〜。

 

 

テレビ番組、しかもマジメなニュース解説番組が、

制作者側の思い込みありきでミスリードするのはいかがなものか。

こういうの、若者への嫉妬というかマウンティングに思えて仕方がない。

いよいよ始動。新しいわくわくが止まらない

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『ドイツパン大全』制作が終わるタイミングで、次の書籍のプロジェクトがいよいよ始動となり、

先日、第1回目の撮影が終了!

 

ふだんは、それぞれがそれぞれの持ち場で仕事をしてる人たち、

監修の方、カメラマン、ライター、出版社の編集担当者

が集まって、写真という目で見える形の仕事をしたわけです。

 

ここに来るまでに、当然、どういう本にするかをプランニングする期間があり、

それをいよいよ実行に移すべく撮影というわけで、

こうやって形作られていくのは、毎度のことながら、わくわくしますねぇ。

 

同じような流れで雑誌も冊子もウェブも動くのですが、

書籍は制作期間が長いのと、

私の場合、編集、裁量を任され1冊丸ごと制作指揮を執るので、

知識や技能を売る、いわば引き受けるタイプの仕事とは感覚がまったく違い、

何をやってもダイレクトに自分に跳ね返ってくる分、わくわく度も大きい。

 

 

書籍の仕事は、早くAIを導入してっ!と叫びたくなるほど、

家内制手工業の世界で、作業がてんこ盛りなのですが、

それを上回るカタルシスがあるので、やめられない、んだろうなぁ。

子供が寝食を忘れてただただ夢中になって遊ぶ、

あれなんですよね〜。

 

お目見えとなるのはずっと先ですが、わくわくが詰まったものを届けますよ〜!

 

変わらないものと変わるもの

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私の20代は1990年代とかぶり、この頃のテリトリーは

東京の三軒茶屋でした。

 

で、最近、たまに行くことがあるのですが、

変化が激しいようでいて、でも実はあまり変わっていないようで。

 

昨日、久しぶりに、おそらく18年ぶりとか?にカレー屋さんでランチ。

カレーのスタイルや店の雰囲気(改装はしたような)はあまり変わっていないような。

カトラリーやテーブルやイスがそのままのような。

一番懐かしいなぁ、と思ったのは、アイスコーヒーの味でした。昔の喫茶店の味。

 

でも、厨房にいた方もレジにいた方もみなさん若い!

この店、私の記憶にあるだけで四半世紀は経っているので、

生まれていない/記憶にない、って方がほとんどなのでは。

 

 

長くなれば守りに入りがちだし、

お客もリピーターが多いだろうから、変えたら叱られるってこともあるんだろうけど、

ここのように若いスタッフの方が

(おそらく)比較的のびのびやっている様子はいいなぁ、と思ったのです。

 

三茶っ子だったとき、そんなに頻繁に来た店ではないし、

今と比べられるほどの記憶はないのですが、

大枠としてはイメージは変わっておらず、

でもメニューの味つけとか、時代に合わせて微調整しているんだろうなぁ。

だからこそ、ほかのお客さんは30代とおぼしき方がメインで、

でもなかにはお歳を召した方もいて、

ほぼ満席だった、ってことは、今の時代に対応している証拠なんですよねぇ。