うまくいっているときは物事は一見淡々と進んでいる
制作の現場というと、とかく戦場のごとく
バッタバタでやいのやいのやっているイメージがあるかもしれませんが、
私の場合はフリーランスで分業でやってるから、ってのもありますが、
こういうのは違うかなー、と。
わさわさやっていると傍目には仕事しているみたいに見えるけれど、
実は認識のズレの確認に終始することが多く、
作業そのものはさして進んでいなかったりする。
それぞれがお互いの持ち場でしっかり仕事をしていて、
連絡をしっかり取り合っていれば、
物事は見た目は淡々と、そしてスムーズに進む。
だからといって、仕事そのものが簡単なわけじゃない。
ただただ、それぞれがやるべきことをやって、まとまって、結果としてちゃんと進んでいくって感じ。
特に書籍やプロジェクトなど長丁場に及ぶものの場合は、
お互いの認識のズレが見つかったりして、わっとなることはさすがにあるけれど、
それでもスムーズに進んでいる場合は、その回数は少ない。
うまくいっているときって静かに淡々と進んでいる。
これが私がずっと仕事をやってきて認識していることのひとつです。
校正に必要な道具はこれ!
制作物を手がける際に欠かせない作業が、校正。
いくらDTP(Desktop Publishing/デスクトップパブリッシング)になったとはいえ、
校正という作業は、パソコンの画面上ではなく、出力紙(もしくは印刷所からの校正紙)に対して行います。
アナログですねぇ〜。
でも、紙で見ないと、ほんとっ、見逃しちゃうことが多いのです。
それと、画面だと俯瞰で確認しづらいんですよね〜。
で、よく校正には赤ペン1本あれば、って言われますが、これだと不親切です。
人によって微妙に違うでしょうが、私はこういったものを使っています。
・赤ボールペン
私は筆圧が高いので、太めのものを愛用。水性はすれちゃうので使いません。本1冊を全面的に編集・ダイレクションするときは1本は消耗します。
・青ボールペン
朱字を入れる時に補助的に使います。
・鉛筆/シャーペン
疑問出しなどをしていきます。同時に仕上がり(断裁)を確認するための線を引く時も私が使うのは鉛筆かシャーペン。
・修正液
最近は消しゴムで消せるボールペンも出ていますが、慣れの問題で、私は修正液の方がやりやすい。修正テープを使う人も。
・消しゴム
鉛筆/シャーペンで書き入れた疑問などが解消した時に。
・色ペン/マーカー
チェック用に。朱字が直っているかどうかはチェックを入れながら。
・黄色いダーマトグラフ
ときどき暗い色の上に朱字を入れる必要があり、赤だと暗い色にはなじんで見えなくなっちゃうんですよね〜。そんな時に使うのがこれ。今はほとんどないけれど、フィルムなどのつるつるしたものにも書けて便利です。
※「ダーマトグラフ」は三菱鉛筆の登録商標で、一般名はグリースペン(シル)ですが、あまりに浸透していないので、「ダーマトグラフ」の方ががぜんピンとくる。。。
・赤サインペン
共通事項やページ数など、特記事項を目立たせたい時に。
※「サインペン」(正式には、PENTEL Sign PEN)はぺんてるの登録商標。一般名は水性フェルトペン。「ダーマトグラフ」ほどではないけれど、「サインペン」の方が通りがいいんだなぁ。
・赤油性ペン
色校やコンセなど印刷所から上がってくる校正紙は表面がつるっとしていので、ボールペンよりも油性ペンの方がやりやすい。補助的に青油性ペンも、私は使います。
・付箋
疑問や質問、後送のメモ、しおりなど
・定規
仕上がり(断裁)線を引くほか、写真やレイアウトの変更などの朱字を入れる時に必要。長いものと短いもの2本あると便利
あとですね、ページ数の多いもの、書籍などの場合は、指サックとか紙をスムーズにめくれるものがあるとストレスレスです。
数字の正誤確認だったり、なんやかんやで電卓も結構使います。
大小さまざまなダブルクリップもたくさん使いますね〜(ゼムクリップは外れやすいので、校正時には私は使わないです)
ここでは、道具をピックアップしましたが、辞書やらQ数表(スケール)やら色見本やら校正そのものに関わってくるもの、校正において出番は多くないものの、ステイプラーやハサミなどもあると便利です。
よくある文房具がほとんどですね〜。
今、私が欲しいのは消しゴムのカスをはらうための羽ボウキ。要らないっちゃ要らないけれど、あると消しカスをきれいに払え、何より気持ちがあがる〜っ!ので。
世に出す前にプロの目を通してくださ〜い!
“お飾りの英語・撲滅キャンペーン”な私です。
どーゆーこと? こーゆーこと(↓)。
例1. アイスコーヒー/Ice Coffee(正しくはIced Coffee)
例2. ピアス/Pierce(正しくはPierced earrings。英語圏だとピアスが前提となっているので、Earringsでも可。※pierceは突き通すという動詞です)
例3. 飲食店/Shop(正しくはRestaurants。 形態関係なく、ファストフードもファインダイニングも飲食するところはレストランです)
例4. 不許複製/all right reserved(正しくはall rights reserved ※rightは可算名詞、つまり数えられる名詞なので複数です)
例5. ○○の歴史/(The)History of ○○(単純に言葉を置き換えるのではなく、How ○○○○○○○○○○○○?(いかに変わってきたか?)のような表現の方がふさわしいことママあり。内容によりますが)
英語表記が日本語の音や感覚と違うとはつゆも思わず、
いーんじゃない、で世に出しちゃっているんでしょうし、
制作した本人たち&クライアントは英語は飾りだからいーじゃん、でしょうが、
日本語の読み書きができない人たちにとっては、この英語が手がかりになるんだよね〜。
まあ、見りゃわかるよ、
ではありますが、こーゆーところで値踏みされる可能性も多いにあるわけで(私は多少なりともしちゃうな〜。これって言葉に対する感覚の表れでもあるので)。
でもってこういう人たちに限って、外国で見つける変な日本語にいちゃもんつけたり大笑いしたりする、自分のやってることは棚に上げておいて。
世に出す前にちゃんとプロの目を通せばいいだけのことなのになぁ。
もちろんそこでお金はかかるけれど、
いったん世に出た後で修正したり、自分のところの価値が下がったりすることを思えば、
よっぽど安い、と思うんだけど。
別に血がつながった親じゃなくてもいいじゃん
8歳のとき、小学校3年の1学期の間、家族と離れ親戚の家で暮らしたことがあります。
その決断をくだしたのは私だったし
(それまでしばらく近所を転々としたり、ときどき祖母が来たりと
落ち着かなかったので、居場所を確保したかった)、
何より大大大好きな曾祖母とずっと一緒にいられることがうれしかったし、
叔父や叔母もいとこもいつもどおりだったし、
新しい小学校にもすぐに慣れたし、
で、それはそれで幸せな時間でした。
転入したクラスには、私と同じように事情でその学期の間、親戚の家で過ごす子がいて、
クラスメイトも学校の先生もそれに対して別段どうってことなかったし。
そのとき、唯一私が気が進まなかったのは、家族に会うことだったな。
なんかね、もう私なしで世界が確立しているみたいに見えたんですよ。
そのとき暮らしていた親戚の家がすっかり、私にとっての家族になっていたってことですね。
なんで、そんなもん、そんなこともあるわいな、ぐらいに思っていたのですが、
ある程度大きくなって、ある芸能人の方が、小さい頃親戚の家で育った、ということに対して、
かわいそう、親は何やってんだ、みたいな憐れみの視線が送られていて非常にびっくりしました。
親と離れることは不幸ではない。
血縁関係があろうがなかろうが、ちゃんと面倒みてくれる人がいればそれでいい。
加えて、親子としての相性がよくないってこともあるわけで
(血がつながっているからこそ揉めることって多くない?)、
必ずしも血にこだわらなくてもいい、というのが私自身の経験から思っています。
でもね、
子供は親が育てるもの
にがんじがらめになっているような、時代が進んでいるのに、ますますそれに拍車がかかっている気がする。
だって昔は大きな商売をしている家やアッパーなところは、親が面倒みなくって(そんな時間はまったくない)、お手伝いさんとかがその役割を担っていて、そんなもんだって周囲も思っていたじゃない。
まあ、逆にそのやんごとなき方が自分の手で子育てを名言しちゃったから(もちろんそれはそれでひとつの考え方でありやり方ですよ)、日本ではそれこそモデルケースみたいになっちゃた感もありますが。
今の時代って、
こうあるべし!みたいなものと周囲がぎゃんぎゃん言うってがあまりにも先行しちゃっている気がするなぁ。
適性や相性、条件もあるから、人それぞれなのになぁ。
子供を育てるのも同じじゃない。
ちゃんと面倒見る人がいれば、親じゃなくてもいいし、方針がぶれなければ何人かで分担してもいいって思うよ。
手が離れると同時に次が始まるので、改善しつつ!
終わった〜っ! 責了!
企画が通ってかれこれ1年。ダイレクションを担っている書籍の仕事が終わりましたっ!
刷り見本があがってきて、
色味と最終校正をして。
で、校正は4回目でこれまで手を抜いているつもりはなかったけれど、
見るたびに朱字が入る悲しさ、自分のザル校正の悲しさ。。。
確かに大型本で、文字量も多いけれど、悲しくなる。
デザイナーさん&印刷所さん、手を煩わせてごめんなさい!
が、これ、同時に、世に出る前に発見できて、よかった!でもあるわけで、
やっと安心して出版にこぎ着けることができそうです。
これはこれで手が離れ、
諦めているわけではないけれど、
どんなにがんばっても朱字がまったくない、ってことは不可能に近いわけで、
毎度本ができてから、あっ!ってこともあるけれど、
やはりできる限り防ぎたい!
次に同じような案件で同じような条件で仕事をする場合はやり方を少し改善しよう。。。
入れ替わるように、新しい書籍の仕事が本格始動します。
いいものを作ると同時に、よりよいやり方を模索しながらやろう!
いっすよ! どんどんやっちゃってください!
ある日、食事だけで万(円)はくだらないお店で、料理長がおっしゃったこと。
「数年前までは、お客さんが写メ撮るの、あまりいい気はしていなかったんです。
でも、今はむしろウェルカム。どんどん撮ってください、ですねぇ」
へぇ〜。
料理長は柔和で気さくな方ですが、決してカジュアルなお店ではない。
私自身は、いったん提供/公開したものはお客さん次第という考えで、
たとえば運営しているブログ。
数年前までは“無断転用・転載禁止”としていましたが(もいっこの方ね)、
そんなこと、公にした時点でもはや意味がない。
だってどんな状況下でもやる人はやるし、キーッとなるだけムダだ、と。
むしろ、いいことにしろ悪いことにしろ、がんがん使ってくださいよ〜
その代わり、使用料払うなりばっちり名前を出すなりしてくださいよ〜
必要なら協力するから連絡くださいよ〜
というスタンスなんですよね〜、今は。
(以前、営利目的、つまり企業の方から、あれもこれも無償提供しろ、かつクレジットは出さない、
みたいなとんでも提案をされたときは、ていねいにお断りしましたけど、ね)
で、その料理長さん。
独立してしばらくは閑古鳥だった、らしい。
こぢんまりとした静かな店なので広告を打ってたくさんの方に来てもらうのも違うし、で
悶々としてらした時期に
あるお客さんが写真を撮ってブログにアップしたら、
それが口コミとなって広がって、お客さんが来るようになったんだとか。
今は、スマホのカメラ機能がよくなりアプリも充実して、ほんと、きれいに撮れるし撮ってくれるし、と。
ものごとには常に功罪があり、SNSも同じで、
とかくデメリットばかりが強調されがちですが
(これ、SNSってなんだ?な人の、わからないものは否定する姿勢だと思います)、
いいこともいっぱいあって、その好例ですねぇ。
悪口を書かれる、叩かれる、って声もあるし、実際そうだけど、
本当はそれって今に始まったことじゃなくって、
この時代でSNSがあるから可視化できるようになった、ってだけで。
もうここまでSNSが生活に入り込んでいる以上、
拒否するよりも受け入れて、そこでどうするかを考える方が
ずっと建設的で現実的だと思うんですよね〜。
私は仕事柄(イギリスの食研究)、イギリス、ロンドンに赴き、
そこそこのお店で食事をすることも少なくなく、
日本では仕事以外では実はあまりしないけれど(面倒だから(笑))。
イギリスでは仕事だから記録に残しとかなきゃ、で写真を撮ります。
一応、Would you mind if I took some pictures?(写真を撮ってもよろしいでしょうか?)
とごていねいにおうかがいを立てるのですが、
どこも快諾してくれ、中にはポーズを決めてくれる方もいらっしゃたり、
写真を撮るのに気を回してくださったり。
そこには、はいはい、どーぞどーぞ、みたいな素直な気持ちもあるのでしょうが
(私、ただのスタッフでオーナーじゃないから、どーでもいいわ、もそこにはある)、
その効果をよく知っているから、なんだろーなーとも思うのです、
先の料理長のように、ね。
屋号をつけるってほんっとむずかしい!
昨年末、名刺を一新する際に、ダイレクション(&デザイン)をお願いした
同業者(編集者・ダイレクターね)の方に
屋号つけた方がいいよ、
とアドバイスされ、そのときは、う〜ん、ぐらいのものだったのですが
(というのも、名刺作りの軸はそこではなかったので)、
別の方に、屋号をつけなさい!と諭され、
そーかぁ、そーだなー、と思い、早ひと月半。
いかんよ、いかん、そろそろ決めないと。
文章は短ければ短いほどむずかしい。
ブログだったら本文よりも記事のタイトルの方がむずかしいし、
記事のタイトルよりもブログタイトルの方がむずかしい。
これって、本や雑誌の名前をつけたり、お店の名前を決めたりするのと同じ。
短くって日本語で業務内容も表現できて、っと、
ず〜っと頭の片隅にあって、GWの喧噪が終わったら、すぐ!と思っていたものの、
だらけているわけじゃないけど、なかなか降りてこない。。。
熟成に時間がかかるなぁ。