やっと、だなぁ。これで拍車がかかる?
メディアって新しいことやってるようで体質は相当旧い。
時代はとっくに大きく変動しているのに、
過去に築いたものにしがみつこうとして、なかなかに痛々しい。
そのひとつが流通。
出版物の問屋システムだったり、新聞の販売店システムだったり。
21世紀に入ったら過去の遺物になるかと思っていたら、相当しぶとい。
ダメというよりも、単に時代に即していない、のよ。
それを大きく変えるきっかけになるかなぁ、これ(↓)。
流通のシステムが変わるってことはメディアのあり方そのものが変わるわけで、
そうなったらそこで仕事をしているあなたも困るでしょ?って言われそうだけど、
でも物事が変わるときってそんなもんだし、
しわ寄せはずっとフリーランサーに来ていて、全面的にあおりをくらっているわけだし、
もういい加減、旧態依然としたあれこれを思い切って解体しちゃっう方がいっそのことすがすがしい、んだなっ!
とりあえず会いましょう、って何なの?
ほんっと、多いんですよね、
主旨を伝えず、とりあえず会って話しましょう、って。
そこでロクな目に遭ったことがありません。
行くまでの交通費とかもだけど、なにより時間をとられるのが、たまんない。
まずは企画内容と条件を提示してください。
それでお受けするかどうか、できることがあるかどうか判断します、って言ってるのに、
とりあえず会いましょう、をゴリ押ししてくるのって、なんなんだろーな。
今や会うどころか話をしなくてもメールのやりとりで充分に仕事が成立するのに、ねぇ。
仕事してるにしろ遊んでるにしろ、人の時間を奪ってるってことに
無神経で無自覚なのよねぇ。
とりあえず、って何なの?
大変な状況に遭遇したら試されているな、って思う
仕事ってスムーズにいくことばっかりじゃない。
むしろ、理不尽なことやトラブルは常につきまとう。
ときどきヘビーなものにも遭遇します。
そんなとき、
あ〜、これって試されているな、
って思います。それは一緒に仕事をしている方々からではなくって、この状況が自分を試しているな、と。
たま〜に、こういう大変な状況こそ燃えるって人もいますが(いるんだよなぁ〜)、
私の場合はそれはなくって、
でも、Calm down, calm down! Hang on, Hold onと心の中でいいながら、物事を進めます。
何もトラブルがない状況でスムーズに物事が進むのは誰でもできる。
天才枠は別として、
どんな事態であろうが、
ふつーの人は一定の品質のものを期日に納めるのがプロの条件だって思うから、
大変な状況は試金石。
やってるで!ここが腕の見せどころ!とまでは思わないけど、
できるもんねっ! 終わらないものはない!って自分に言いきかせて、
とにかく淡々とやるのみ、ですなぁ。
家督かKATOKUか、世襲制かSESHU-SEIか
私はテレビをおいていないので、車のCMでサビの部分が流れているってのを知らなかったのですが、
先週後半のある日、ラジオから2回流れて来て、そのキャッチーなメロディーと意表をつく歌詞で、その気はなかったのにソッコーで覚えてしまいました。
レキシの「KATOKU」。
今までレキシ、おもしろいなぁ〜、でもちとあざとくない(笑)、ぐらいの認識だったのが、
いや、これはすごい才能だよ! おみそれしました!
ここではメロディーとか80年代どーのとかはおいておいて、
言葉のセンス。
家督とか世襲制とかが、まさかこんな歌にのっけられるとは、ね。
しかもちゃんと意味をなしているし、英語と韻を踏ませるなんて。
ブログのタイトルとか、商品名とか、簡単な説明とか、見出しとか、そして歌の歌詞とか、
決められた文字数で言葉を構築する、ってのは、
完全にコピーライティングの世界で、
文章を綴るってのとは違う。
私が思う優れたコピーライティングってこむずかしい言葉を使うんじゃなくって、
日常的に使う誰しも知っているなじみのある言葉を組み合わせて、
いかに対象物に焦点を当ててるか。
このとき組み合わせの妙、当たり前過ぎず、ズレ過ぎずの加減。
これにこれを組み合わせるのか!という微妙なズレがうまくはまると、
言葉が本当に輝く。
これがむずかしい、本当にむずかしい。
それにしても「KATOKU」は、今年度の最優秀作詞賞だね、間違いなく!
“飲みニケーション”撤廃キャンペーン
まだこんなおっさん(おばさん、もか。。。)がいるんだよねぇ。
私、今は組織にいないからほとんど関係ないし、出欠は自分の意思だけれど、本当にこの“飲みニケーション”ってのが苦手でね。
その理由は、
- 勤務外の時間を拘束される
・どーでもいい人たちと時間を過ごす
・終わりが読めない
・次の日に響く
とデメリットだらけ。
なにより、なあなあの馴れ合いってのがね、苦手なのよ。。。
何もするな、ってことじゃなくって、
皆で親睦会であれば、ランチとか、社食とかパブリックスペースのあるところでは夕方5〜7時と時間を決めて会をすればいい。
飲みに行きたい人はその人たちで自由に行けばいい、強制じゃなくって。
もうさ〜、
わけわからん説教とかちっちゃいマウンティングとか、
時間とお金のムダ以外の何者でもないんだよねぇ。
そして私が不愉快な気持ちになるのが、
若手にお店探しを任せておいて、それに文句を言うヤツ。
まずはありがとう、じゃないの?
そして、“自称”グルメが店の料理がよくないと文句を言ったり、ウンチクを垂れ始めたり。
そもそも味覚は個人的な嗜好に拠るし、会社の飲み会はソーシャルな場だから、
料理の質とか二の次でしょ。
そんなにグルメ自慢したけりゃ自分で店選んだらどう?
それがほかの人の舌に合うかどーかはわかんないけど。
あ〜、かくも残念!なことでございますよ。
本屋さんとか紙の本とか
私はイギリスの新聞ではガーディアン/The Guardianを圧倒的に愛読しています。
これ、政治的、思想的なものではなく、かといってニュースの即時性とか内容でもない。
大きな理由は、イギリス社会(一般市民の、という意味で)というものを非常に色濃く反映しているから。
一見どーでもいいようなくだらない(と思える)ことをよくまあこんなに掘り下げて記事にするなぁ、と感心!
そう、そこにこそ、市井の人々の生活が透けて見えるのです。
ウェブサイトであれば、記事自体もですが、そこに設けられたコメント欄などにも目と通すと、納得したり腑に落ちたりすることが満載なのです。
読んどこ!と思っている記事がこの2つ。これ、私自身の課題記事。
www.theguardian.com
前者は電子書籍について、後者は書店についての話。関連記事のリンクもあるので、こっちも目を通しておきたい。
状況を日本と並列には語れないけれど、でもこんな時代にもはや国別だけで考えるのはおかしなことだし
外を知ることで、自分のところの状況がくっきりと浮き彫りになったりしますからねぇ。
ひとつ終わって、ひとつ始まる
今進めている書籍プロジェクトが大詰めで、著者の方、デザイナーさんと四六時中てんやわんやな状態です。
仕事自体はバタバタなので、こんな時ってきりきりしている空気が流れてもちっともおかしくないのに、やりとりはおだやかで、こっちのストレスがないのがありがたい。
これで殺気だっていると、こっちにエネルギーをとっていかれちゃうもの。
(とはいえ、体力は絶賛消耗中。腕も肩も背中もパンパンで、鍼に行きたい。。。)
そこに朗報が!
別の書籍プロジェクトで、いざ始めましょう!となったときに、いったんストップとなったのですが、それが再開に!
安心! よかった! うれしい!
こういう朗報が舞い込むと、疲れが吹っ飛ぶねぇ。
ひとつ終わるとひとつ始まる。
本制作って不思議。
自分が、映画監督みたいな立場で裁量を任されて(←これが大事!)書籍編集に関わるというのは、私のなかで生理的欲求が一番満たされる行為な気がします。
ものを、なにもない状態から形にしていくってのは、本当に楽しいんだと思う(大いなる裏方の仕事なので承認欲求(もちろんないわけではないけれど)とかそういうのとは違うかな、と)。
だからやめられないんだろうなぁ。
正直、今の私自身は出版の仕事自体には執着はなく、
ブログの書き方をアドバイスしたり、SNSの使い方の相談にのったり、メディア対策を一緒に考えたり、(あと、イギリスの食関係ね)の方がおもしろいんだけれど、
上記で舵取りをしている書籍の仕事は、“好き”ってことを“好きなように”させてもらっている、これに尽きる、んですよね。(これは版元のご担当の方に感謝!だなぁ)
勘違いしている方が多いけれど、商業出版の仕事は制約だらけです。
でも制約があるのは、仕事としてはやりやすい。制約が少ない方がずっと大変。
まあ、自由と仕事ってのはむずかしいところだけれど、でも今(から)の世の中って相反するものじゃなくって、むしろ混ざり合っていくものじゃないか、という感触もあるのです。