100円均一、小さいサイズのみの自販機があればなぁ
私が家でつくるごはん、つまりお総菜は“お薄”です。
入院したときの病院の食事の方が塩気が強かったし、
病院ではもうちょっと分を摂ったらいいよ、とも言われるし(そんなこと言われてもねぇ)。
外食をすると/続くと、やたら喉が渇くことがあります。
何を食べるかにもよりますが、和食だとテキメン!
時間差でそれは来るので、家にたどり着く直前かたどり着いてからが多いのですが、
そんな喉の渇きを癒してくれるのは、コーヒーや紅茶や日本茶じゃないんですね。
炭酸飲料、もっとはっきり言うとコーラが飲みたくなる!んです。
家に常備してないからなぁ。
辛抱たまらん!、外に買いに行くと、サイズが大きいんだな。
おトクかもしれないけど、こんなに要らないよ!
160㎖だっけ? スーパーマーケットとかで売ってる小さいサイズ。あれでいいんだよね。
通常の缶で350㎖で、あんなに要らないんだよね。
昔の(って今もあるのかな?)UCCの缶コーヒー、あれって250㎖だっけ?ぐらいがちょうどいいんだけどな。
量が多いのがトク、って時代はとっくに終わっているので、
自販機や飲料業界さんも、それで多少割高になっても、小型化を目指してほしいです。
わかりやすく税込み100円ってのが理想です。
トクホの商品とかいろいろあるけど、何ごとにおいても量は質を凌駕するので、ヘルシーを謳うのにもちょうどいいと思うし、ちょっとだけ需要もあると思うんだけどな〜。
本当に重要なことは、共有できる記録を残さず直接会って、になる
私はラインを使っていません。というのも、グループを作ったりって人間関係がめんどーだな(←偏見)ってのが大きいから。
無料通話ならスカイプで充分だし、チャット的なやりとりならメッセンジャーで事足りる。
有名人のラインの会話が流出したり、ってのを昨今見聞きします。
インターネット上で自分がやっていることなんて、プロにかかれば赤子の手をひねるようなもんで、いとも簡単に情報は抜き取られる。
でも、それって住居も一緒で、いくら防犯に気をつけていても、やられるときはプロにいとも簡単にやられる。
だからといっておおっぴらにしておいていいわけではないけれど、そういうことはあるかもな、ってことは常に頭の片隅にあります。
で、もやもやって思ってて、やっぱそうなるんじゃないかって思っていること。
本当に、本当に大事なことって、直接会って、話をして、そこではお互いにメモには残すかもしれないけれど、ほかの人の目にふれないようにするんじゃないか。
これって、今まで政治家とか企業のトップとかが料亭でやってたことよね。密談を行う場所こそ違えど、直接会って、が一般化するんじゃないかって思っています。
本来の目的は違うけれど、snapchatが優れているのは、一定時間経ったら記録が残されないことにもあるんじゃないかな。
人間は忘れるという機能があるから、ある意味幸せなわけで、ネットにも忘れる、つまり記録を残さない、ってことがこれから重要視され、選べるようになるでしょう。
そして、情報の共有だけでなく、本当に大事なことは直接赴いて、は、もっと付加価値がつくようになるんじゃないか、ってのが私の見立てです。
鋭意制作中!の本の表紙が決定したよ!
今、私がかかっている仕事のひとつに本制作の舵取りがあります。
要は、編集者という立場なのですが、出版社から裁量を任されているので、実質的な編集長といったところ。映画いうと監督みたいなもんです。
案が6つもあがってきた表紙の、出版社の会議が先週あり、その結果のご連絡をいただきました。
下馬評(っていうのかな?)と違って、あっ、これになったんだ!
好みは別として、確かに6案のうち、一番迫力のあるものでした。
表紙っておもしろいもので、選ばれるのはたいがい、「これ、いいんじゃない!」と私が思うものとは違う案。
で、結果をきき、実際にデザインされたものがあがってくると、あっ、なるほどね!と。
制作にどっぷり浸かっていると客観視しづらいのかもしれないし、
本当のところ正解はわからないから、
私がこれ!と推した表紙の方がもっと売れるかもしれないし、もっと売れないかもしれない。
私は、本はお客さんにお金を払ってもらっている以上は商品と捉えていて、もちろん中身も大事だけれど、とにかくパッケージデザインは大事! 極論を言うと、読んでもらわなくてもいいから、興味をもって買って欲しい、と切に願っています。
何度目かの校正をしながら、間違いがないか、これで大丈夫か、大きいものほど見逃しがちなので、ドキドキです。
噛み合わないことも、ありのままに開示するのがこれからのやり方
これ、良記事(↓)。
3つの点が優れているなぁ、と感じます。
- 企画全体に流れる予定調和を無視
テレビ番組にその傾向は顕著ですが、結論ありきで話が進められるんですよね〜。
(2年ぐらい前だったか、NHKの週末の朝の番組で“民泊”をテーマに議論(ってほどのものじゃないけど)交わされたとき、民泊=悪を前提に、それを着地点に話が進められ、呆れ返ってしまった)
もちろん、テレビ番組だけでなく、雑誌をはじめ既存のメディアは、その傾向にはあるんだけど(コメントを入れたりはできるんだけど、基本、一方通行だから)。
それをしないとまとまりがなくなるし、そもそも企画の時点で結果ありき、だから。
既存のメディアってそうなの、お決まりのパターン(新しい価値観を、ときに盛って提供することが使命だと思っている)をすご〜い!みたいな反応を期待して、どーだ!とみせる。
だから、そもそも、あらからじめ結果を見越して、番組や記事作りがされるからなぁ(もちろん、実際に取材をしてみて、違う!となって方向転換や軌道修正することはあるけど)。
なので、こういう噛み合ない、結論が出ない(ように思える)内容を掲載した編集者(ライターかな?)の勇気はエライ!し、これにGO!を出した編集長もエライ!
- 聞き手が露呈した、メディアに取り上げられるための戦略
個性、差別化をこれでもか!と出そうとする好例。
(私個人、消費者の立場としてはこういうの、すごおおく疲れる)
でも、こういうことを既存メディアはとびつくんだよ、 よ〜くわかる。
だって、メディアとしてはトピックにしやすいんだもん。
もちろんなかには、その後の新しい定番となるような大きなインパクトがあるものの場合もあるけどね。
気負いがなく、サービスも味も内装も、当たり前のことを当たり前にやっている、日常的に通いたいような、近所に欲しいような、当たり前が淘汰された“いい”店って、写真にしろ文章にしろ記事にしづらいんですよ。
とっかかりに欠ける、っていうのかな。
逆に言うと、これをきっちり(盛らずに)表現でき、そしてそれがちゃんと届けられるメディアや人は相当実力がある、ってことです。
- 藤原ヒロシの感覚&発言に賛同
こういうときって、えてして、取材する側が喜びそうな、寄り添うようなことを言いがちだけど、気を遣いながらも、自分の意見を言っているあたり、エライ!
ここで述べられている彼の感覚は、私のそれに非常に近い。
もうね、ポートランドはきき飽きたし、スモール・ポートランドの点在で、おされ合戦されても、はいはいわかりました!はいはい、おされですね〜!な気分になって、どっと疲れる
(模倣じゃなくって、突き抜けたユニークなことすればいいのに)。
食関連の編集やらライティングやらしていると、当然、店舗、料理やアイテム取材も多く(私の場合は、レストランの厨房に入り込んで技術的なことをきいたり、食文化や背景を調べたり、資料を紐解いたり、生産者や流通を訪ねたりすることが多いので、いわゆるグルメ取材はそんなにしていないんだけど)、うんざりする質問をされます。
「どの店がおいしいの?」
う〜ん、別においしいを基準に取材していないし(それは結果だし、今どきおいしくない店なんてないでしょう)、嗜好は個人的なものだしなぁ。
あるとき「よく利用するパン屋さんは?」と聞かれて、
○○○と○○○と答えて、よく知られるおなじみの店でがっかりされた、という。
もっと尖った店を言って欲しかったみたい。。。
どーだ!系の店は、1&2のメディアとしての視点からはおもしろいんだけど、ユーザーとして心落ち着くのは別のところだったりするんだよね〜。
おそらくユーザーの本音って、藤原ヒロシのこの発言に近いんじゃないか、って思う。
でも、“おしゃれ(ださいなぁ)”とか“最先端”とか“いけてる”の言葉で形容されたものにのることで、“こんなこと知ってんのよ” “こんな今どきのこと理解できる私ってどう? いけてるでしょ?”みたいな優越感に浸りたい気分が見え隠れする。
“これを否定すること = 自分はセンスない”ってことの表れだと思い込んで、恐れているんじゃないかなぁ
(別にセンスなくていいじゃない、何が悪い!って思うけど)。
う〜ん、やっぱりね、ハリボテで恰好よく見せる時代は終わったんじゃない。
最初におされ!ありきでなくって、突っ切ったり、振り切ったものこそが、清々しくって一本通っていて、本当に恰好いいんじゃないかな。
だからこそ、予定調和のセオリーを無視し、起こったことをそのまま(ってわけじゃないだろうけど)まとめたこの記事は、新しいし、こういうのがこれからの主流になるかもね。
非常に示唆に富んだ記事です。
お年を召した方ってむしろ今どきな気がする
今住んでいるところの町内会の会合に出席しました。
順繰りで、今年度順番が回ってきたので。
地区役員だったり、役職についている方だったり、10数名が集まっての会合。
ほとんどの方が、リタイアした(もしくは仕事を抑えてらっしゃる)70代の方々。
マンションなど集合住宅が増えているとはいえ、まだまだ戸建も残っている、
街の中心部に近い、古いエリアですからね。
こういう会合、ってえてして、ベタベタした村社会の縮図をイメージしがちですが、
そんなことはなく、むしろシンプルでサバサバして合理的。
みなさん忙しいし、ご都合もあるでしょうから、
レジュメが配られ、要点のみ説明、課題のみ提言。
30分という時間内で見事に終了。
食べ物や飲み物も配られ、時間のある人は残って食べてもよし持ち帰る人は持ち帰ってもよし、
で、早々に帰る方と半々。
そういえば引っ越したばかりの頃、町内会の説明を受けたときに、
町内会っていっても強制的に何かやるってわけじゃないから、
もう今ね、そんな時代じゃないから、
ただ、一応どういう人が住んでいるのか認識する程度だから、って言われて、
確かに別にどうのこうのはなくって、ほっとした記憶が(実際にそのとおりです)。
私の周囲を見渡しても、意外となのか、そんなもんなのか、
今のお年を召した方って、危機感もあるのかもしれないけれど、
時代に即した対応をされる。
同時にものすごく田舎の人が、必ずしも村社会の中ではなくもっと自由な空気感の中で生きていたりする。
むしろ、中途半端なポジションとかエリアにいる人の方に、えっ、今どき?を感じることが多い。
彼らの上にいる人は本当はそんなこと思っていないかもしれないし、新しいことに迎合するかもしれないのに、変に気を回して、もしくはことを荒立てずスムーズに運びたいのか(自分が責任を負いたくない)、既存の論理で押し通す、という表れなんだろうなぁ。
う〜む。
6次産業化は農業や漁業に限った話じゃない
私の仕事のキャリアでは、本や雑誌制作が一番長く、出版業界にずっと足をつっこんでいます。
私自身は、現在の出版業界の斜陽は、傲慢と怠慢が引き起こした、と思っています。
“紙媒体を世に出す”は軸のままでもいいのですが(本当は思い切って変えるのがいいのかも)、
全体でメディア産業、情報産業と位置づけて、
ネットメディア、イベント、物販etcなど、付随して提供できるおもしろそうな価値観をどんどんやっていけばいいし、確かに今やっているところはあるけれど、おまけという位置づけでなく、かつもっと早い段階でやる必要があった、と。
6次産業化は農業や漁業だけじゃなくってね。
まあ、これは産業だけでなく個人でもいえること。
垣根を超えて、できること、おもしろいこと、そしてそれに対して適性価格を獲得できるシステムを作ること。
そんなことを2010年代に入ってずっと考えていまして、私自身、模索中なわけです。
なんて普段つらつら思っていることを、この記事(↓)を読んで改めて思った次第です。
水菓子をお願いして、登場したものは
先日、ある和食屋さんで食事をしたときのこと。
おまかせで季節のあれこれをいただき、日本酒も多少いただき、すっかり満ち足りた気分に。
ひととおり料理が終わったあと、お店のご主人に、
「よろしかったら水菓子はいかがですか」と。
お腹はすでにいっぱいだったけれど、締めくくりに口の中をさっぱりさせるのはいいな、そのくらいなら入りそうだし。
じゃあ、とお願いして出てきたものを見てびっくりしました。
目の前に現れたのは、抹茶ババロア。
あ〜〜〜〜っ、てっきりイチゴとか季節の果物だと思っていたのにぃ!
水菓子とは本来は果物のこと(なぜ、果物を水菓子と呼ぶのかについてはぐぐってみてください)。
水分を多く含む、ゼリーとかムースとか水羊羹とかわらび餅とか、のことじゃないんだよなぁ。
紛らわしいけど、菓子屋や一般的な会話ならいざ知らず、和食屋であればなおのこと。
そこの和食屋さんが、価格やご主人のキャリアから水菓子の意味を知らないとは思えず、お客さんの方で知らない人が増えたので、それに合わせてってことなの、かなぁ。
目くじら立ててどうのこうの言うつもりはなくって、
だったら、いっそのこと、デザートとか果物とか直接的な表現をしてもらう方がいいなぁ。
仕事でも同じことが言えて、
「知らないの?」とがっかりするのではなく
(こんなことでマウンティングしたがる人がいるのは困ったもんだ!)、
「知らないのなら別の表現をしよう」って
共通認識を抱けるわかりやすい言葉を使うって大事かも。