「こだわり」という言葉を私が軽々しく使わない理由
私は、情報発信サポートにしろ、食の編集・ライティングにしろ、イギリスの食研究にしろ、いずれにしろ食関連の仕事がメインです。
ここのところ本当に多用されるようになったなぁ、と思うのが、
“こだわり”
という言葉。
“こだわりの食材”
“こだわりのメニュー”
などなど。
食べることだけじゃないですね、あらゆるところでこの“こだわり”という言葉、使われています。
“こだわりの宿”
“こだわりのアイテム”
なんて具合にね。
この“こだわり”という言葉、私自身は基本使わないようにしています。扱いを慎重にしていると言ったほうがいいかもしれません。
“こだわり”を動詞の“こだわる”にしてみるとどうでしょう。
こだわる”を使った
“些細なことにこだわる”
という言い回しを、ぱっと思い浮かべるのではないでしょうか。
どんな印象をもちますか?
そう、この“些細なことにこだわる”にみられるように、本来、
“こだわる”“こだわり”
はネガティブな意味をもつのです。
・必要以上に気にする
・ひっかかったりつかえたりする
・けちをつける
といった風に。
現在、多くみられる
・物事に強く執着する
を表す
“こだわる”“こだわり”
は、先のネガティブな意味合いがプラスに転じたものです。
言葉は時代とともに変わるので、このこと自体にどうこう言うつもりはありません。
しかし、言葉を届ける対象によっては
“こだわる”“こだわり”
という言葉は避けた方がいいと私は考えます。
“こだわる”“こだわり”のポジティブな意味合いは新しいものなので、若者向けであればいいのでしょうが、その言葉を届ける対象が年配の方だと、違和感を抱かれるかもなぁ、と感じるのです。
一般的な内容の場合、一応の対象年齢はあるものの、実のところ年齢に関わらず、になるので、
“こだわる”“こだわり”
を私が使わないようにしているのは、こういう理由からです。
“こだわる”“こだわり”を使わないでどうするか、って?
“厳選する”
“吟味する”
“丹精込める”
“心血を注ぐ”
“思いを込める”
などと言い方を変えます。
それともうひとつ、私が
“こだわる”“こだわり”
を使わないようにしている理由は、あまりにこの言葉が蔓延してしまって、手垢がついてしまった感が否めないからです。
すっかり常套句になってしまって、本来伝えたいポジティブな
“こだわる”“こだわり”
がぼんやりとしか感じられない。
さて、どう感じますか?
アメリカで“よい”とされる職業ランキング
“もっとも良いアメリカの職業25”をピックアップした記事がありました(↓)。
このランキングは、
・予想収益(基本年収の中央値)
・満足度
・求人数
の3つの側面から割り出されたもので、なかなかにおもしろいです。
単純に日本におきかえることはできないけれど、こういうのがあると比較対象にはなりますね。
私はおもしろいなぁと思ったのは、“年収”です。
やっぱね、お金というのは基準としてわかりやすいわけですよ(笑)。
調査結果の結論として、
“もっとも良い職業というのは高いスキルを必要とし、職場の自動化の流れ(オートメーション化など)の先を行くもの”
そのためのスキルとして必要なものは、
・創造力
・判断力
・適応力
だと。要するに、これらは自動化が困難ってことなんですね〜。
ふむふむ。
相談して、そして相談された日
これまで出版にしろ広告にしろ、紙にしろウェブにしろ、大きなくくりではマスメディアにいて、今もそこで仕事をしていて、
自身のライフワークのイギリスの食という仕事もするようになり、
そこに新しく
“情報発信サポート(SNSの発信方法、ブログのタイトルの付け方、メディア対策)”
を自分の仕事としてちゃんとやっていこうと思ったのが1年前。
よくよく思い出せばそれまでもやっていたのだけれど、
それがある日、普段あまり接することのない異業種の人たちとご一緒したとき。
「ブログがきっかけで仕事を得たんですか?」
「ウェブの文章がなかなか上手に書けなくって」
「SNSってどう使えばいいんですか」
などなど質問攻めに。
そっか! 私が今までやってきたことって、今や個人や小規模事業が自己発信できるようになったはいいけれど、どうすればいいかわからないで困っている人たちに役に立つんだ!と初めて意識したのでした。
なので、名刺も変え、ウェブサイトも制作中で、同時にきちんと整理して案内しないとな状況が今です。
知識や技術などは今まで培ってきたものの上にあるんだけれど、この“情報発信サポート”で大きく異なるのは、対象となる方々。
これまでメディアとしてやってきたのが、そうでない人たち、むしろ対メディアといったところの立ち位置になります。そういう意味では、まったく新しい未知の世界。
本当に需要はあるのかな?とか、自分では妥当と感じている値づけはこれでいいのかな、とか、
先日、ビジネス(経営、財務など)のプロに相談にのっていただきました。
結果として、背中を押していただいた形に。
こういうときに相談できる人がいるって、本当にありがたい!
同じ日の夕方、相談したいことがあるから、と言われて出かけました。
内容は???で何だろうと思っていたら、まさに、私が今本腰を入れてやろうとしていることに関しての相談でした。
「メディアにいる人って周囲にいないから」と普段遠方にいながら指名してくれたのです。
うれしかったですね〜。
頼りにされたこともうれしかったし、自分がやろうとしていることが間違っていないよ、と言われたようでうれしかった。
同じ一日で、同じテーマで、相談したり、相談されたり。
こんなことってあるんですね。
今どき電話のコミュニケーションは“絶対”ではない
私、電話が苦手です。
突然かかってきて時間を搾取される。
考えごとをしていたらいったん思考が打ち切られる。電話を切って、それをもとに戻すのに時間がかかる。。。
(なので、ときどき電話がテロに思える。。。)
自分がこんなだからかけるのも苦手。
なので、ビジネスでもやりとりの主流がメールやメッセンジャーになって、ほっと安堵。
文字として残るので言った/言わないもないし。
なにより自分で時間をコントロールしてやりくりできるのがいい。
とはいえ、私もいい大人ですから、
まずは電話を!と思っている人が多いのは承知しているので、その場合はそのように対応します。
取材のアポ入れやファーストコンタクトの大半はこれに該当しますね。
それと、急ぎや念押し、しっかりとしたすり合わせが必要な場合、何度かメールしてもレスが来ないときは電話。 “よっぽどのとき”に出動させるツールです。
で、こんな記事(↓)。
う〜ん。
これ、就活生だけじゃなくって、きわめて自然な時代の流れだと思うけどなぁ。
非通知の電話に出ないなんて当然!
読んでると、就活生がきわめてまっとうに見えるんだけど。。。
むしろ今どきこんな人事がいるんだ!ってことに驚きますねぇ。
現時点はビジネスでは電話が必要かもしれないけれど、電話のコミュニケーションが大幅に減少する可能性だってあるのに。
そして文字のコミュニケーションからビジュアルのコミュニケーションに移行するってことも大きく考えられるのに。
別に今だけでなく、電話コミュニケーションに限らず、いつの時代も若者は社会人と話すのにしどろもどろしてたんじゃないの? それっていつの時代も一定数存在する話じゃないの?
あ〜。やだやだ! つくづく「今どきの若者は」と言いたがる大人になりたくないもんです。
知ってた? 「ください」と「下さい」は違うってこと
文章を書くときに、漢字かひらがなかカタカナか、迷うことは多いもの。
あえて使い分けをすることもありますが、実はルールとして決まっているものがあります。
漢字とひらがなの使い分けが明確なもののひとつが
「下さい」と「ください」。
例をみてみましょう。
- コーヒーを下さい。
- コーヒーをお飲みください。
1も2も正しい使い方です。
違いはわかりますか?
1の“下さい”は“くれ”の丁寧表現。“くれ”“下さい”だけで動詞となる言葉(実質動詞と呼びます)は
“下さい”
と漢字をを使います。
一方の2は“飲む”の動詞にくっつけて尊敬・丁寧表現する言葉(補助動詞と呼びます)。この場合は、
“ください”
とひらがなをを使います。
英語にするとわかりやすい。
1の“下さい”は“give”
2の“ください”は“please”
これ、文部省用字用語例によって定められています。
ただ、ですね、必ずしもいつも従う必要はない、と私は考えています。
言葉は時代によって変わりますし、状況によってふさわしい言葉を使えばいいと思っているからです。
たとえば、あらかじめ文字数が決まっているときや行を分けて文字数を揃えたいとき。
コーヒーを
下さい。
だと、まのびしちゃいますよね。
コーヒーを
ください。
の方が見た目の収まりがいい。
また、ウェブなど横書きだと、漢字よりもひらがなの方が見た目の相性がよかったりもします。
実は目につくのは、2.のpleaseの意味で、
コーヒーをお飲み下さい。
と漢字を使うケース。
こっちは、よっぽどのことがない限り(文字数制限があるとか)、
ください
とひらがなのルールに従うのがいい、というのが私の感覚です。
こういうのは知っていても/いなくても、かもしれませんが、自分がどうこうよりも受け止める方がどう感じるかが大事なので(何事もそうですね)、頭の片隅にとどめておくといいですよ。
何をやっても何かを得たい
昨日、2017年3月3日(金)&4日(土)の2日にわたって、福岡市内で開催された女性起業家経営発展塾(主催:福岡県、運営事務局:有限責任監査法人トーマツ)に参加しました。
両日とも、グループワーク、講演、交流会という流れで、
一番よかったのはグループワークでした。
いえ、グループワークで行ったテーマ自体がどうこうではなく、
知らない人とグループになって、現在の課題や将来に向けてさまざまなことを吐き出す、このことにこそ意義があったように思えます。
こういうこと普段自分ひとりだとしないし、いつもつきあいのある人たちともしない、でも知らない人同士だから本当のところをバンバン出せる。
こうしてアウトプットし、他者を通して自分を見ることができた、というのは貴重な経験です。
こういう感じ方は本来の目的ではないのかもしれませんが、
参加するからには何かを収穫したい。
それが、今回のグループワークを通じてこういう見方があった、というのは新しい発見でした。
謙虚に、でも傲慢に、もっと研鑽を積んでいこう。
メールコミュニケーションは若者に学べ!
つくづく昨今の若者のコミュニケーション能力の高さに驚く。
ひと言でいうとスマート。
仕事だとメールでのコミュニケーションが主体になり、これがめっぽう上手い。
具体的にどういうことか、というと、
・要点を整理して伝える
・必要事項がわかりやすくまとめてある
・欲しい事項を明記してある(いつまでに何を)
・レス/判断が速い(即判断できないときもその旨連絡が入る)
・言葉使いがやわらかい
わかりやすくって、ものすごおおくスムーズ。ストレスフリーなんだな。
加えて、これ、敵わない!なのが、
・言葉使いがやわらかい
私、メールは素っ気なくって、これ、気をつけないとな〜。
彼らの言葉の使い方って、やさしく話しかけられているみたいで、本当に上手なんですよ。
書き文字でそんな表現ができるなんて、ね。
もちろんね、個人差はあるのですが、概して年齢が若ければ若いほど上手なんです、私の周囲では。
小さい頃からメールとかチャットといった文字でのやりとりに慣れているから、呼吸する感覚で、話す感覚で文字が打てるんだろうなぁ。
ここのところ、20〜30代の方とのやりとりがちょこちょこあり(私は40代後半です)、そのたびに感心して、学ぼう!と気を引き締めるのです。