書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

編集とは削ぎ落とす作業である

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雑誌にしろ、本にしろ、ウェブにしろ、

編集っていうのは、いろんなものをあれこれ詰め込むって思われがちなのですが、

結果として、これは逆効果。

“何でもあり”は、“何にもなし”だから。

 

何をうたいたいか、一番言いたいことは何か、強味のあるセールスポイント、それだけでいいんです。

 

そうお伝えすると、たいがいの方が尻込みされます。

これも大事だけど、あれも大事、いいところは、まだまだたくさんあるんです、と。

保険が欲しいのでしょう。

 

そんなとき、私が例に出すのが、洋食屋さん。

そのお店の目玉がハンバーグだとします。

畜産農家から直接仕入れた地元の銘柄牛を100%使い、切るとじゅわ〜っと肉汁があふれ、醤油や味噌をきかせた和風フレイバーただようハンバーグが。少なくとも周辺には似たようなハンバーグを出す店はない。

 

でも、そのお店が、

うちは付け合わせのポテトサラダもいいし、

ごはんもなるべく炊きたてに近いものを出せるよう、あえて大きな炊飯器を使わないし、

味噌汁の味噌だって特別に作ってもらっている、

と、それらを全部見せたとします。

 

すべてまんべんなく得意であればそれもありですが、

本当はハンバーグが自慢なのに、あれもこれも入れて幕の内弁当にしてしまうと、

薄まってしまって、お客さんは、ハンバーグの素晴らしさを見逃してしまいます。

全然エッジがきかないんですよね〜。

 

こんなときは、“ハンバーグだけ”をちゃんと打ち出せばいいんです。

 

まだ心配ですか?

イメージしてみてください。

ハンバーグが売りだからといっても、それだけでオーダーする人はまずいないし、最初からセットになっている場合もほとんど。

ってことはほっといてもお客さんは、ポテトサラダもごはんもお味噌汁も体験するです。

そこで、このお店はハンバーグもだけど、ほかも手を抜いてなくっていい!って評価になることは、おおいに可能です。

そうして、結果として、あれもこれもいい、ってことになるんです。

 

 

なので、実際にはあれもこれもやっていても、打ち出すときは絞り込んだ方がいい。

まずは、の強力なとっかかりを作っておけば、お客さんにほかのものまで見せるチャンスはちゃんとあるんです。

 

男の子とか、女の子とか

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仕事柄、オーナー、経営者、社長といったトップの方々にお目にかかることが多くあります。

おっしゃっている内容もこちらに対する姿勢も素晴らしい!と思うのに、ときどき、残念だな、と思う言葉を発する方がいらっしゃいます。

 

それは、

男の子、女の子

という言葉。

 

これ、若いスタッフのことを指しています。

「うちの女の子」「うちの男の子」とおっしゃいます。

 

引っかかるんですよね〜。

謙遜もあるのかもしれませんが、聞いていて感じのいい言葉ではありません。

男性スタッフ、女性スタッフ、若手スタッフ、

いや、単にスタッフでいいんですよね〜。

 

なぜか。

男の子、女の子

って響きが所有物っぽいんですよ〜。

主従関係が明確というか、雇ってやっている、みたいな態度がどこかに滲み出るんです。

スタッフと言うと、その人の仕事の能力、自分の会社の戦力と認めていて、リスペクトも感じられます。

 

そして、取材や打ち合わせ中に、資料を渡す、といったタイミングでその人が入って来たときに、自分のことを

男の子、女の子

って言われたらどう感じるかな、とも思うのです。

私だったら、やっぱりいい気はしないですね。

 

経済産業省のウェブサイトにこんなのが!

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ある日、なんとなくぶつかったのが、経済産業省にあったこんなコンテンツ。

 

http://ベンチャー企業の経営危機データベース ~83社に学ぶつまずきの教訓~ http://www.meti.go.jp/policy/newbusiness/kikidatabase/

 

成功例はごまんとあるけれど、失敗例のみに焦点をあててデータベース化したって珍しいんじゃない?

やるなぁ〜、経済産業省

 

確かに、自らを振り返ればわかりやすいけれど、失敗が最大の教訓になるわけでして。

 

 

失敗例は参考にするにはなかなかいいのですが、

“失敗しないために”をあまり考え過ぎない方がいいんじゃないか、とも考えます。

失敗するときは何をやっても失敗するし、うまくいかないときは何をやってもうまくいかない。

 

なので、大きな失敗しても、それでゲームオーバーにならないで、

何度も挑戦できる土壌があることが大事な気がするなぁ。

失敗や敗者に対して寛容な社会であって、そういう前例に満ちていることが。

そうしたら、失敗してもまたやればいい!って意識が働くので、

とりあえずやってみよう! 挑戦しよう!ってなって敷居が低くなるよなぁ。

が、が、が、が、が、の連射に注意せよ!

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自分のだけでなく、人の文章に目を通すのが私の仕事の一部です。

多用されていて惜しいなぁというものがいくつかあり、これもその一例。

 

“が”

 

ん?と思われるかもしれませんね。

 

文章と文章のつなぎ言葉の“が”です。

 

例を出しますね。

 

  1. 昨日は雨が降っていたが、マラソン大会は行われた。

 

  1. マラソン大会があったが、中学時代の友だちと参加した。

 

 

違いがわかりますか? 違和感を感じますか?

 

1は前半の内容と後半の内容では、相反することでそれをつないでいるのが“が”です。

このときの“が”は、“けれども”“ものの”と一緒ですね。

 

では、2。

前半の内容と内容の文章は相反する内容ではなく、単純につないでいます。

この場合の“が”は、“そして”に該当します。

 

 

この2の使用が非常に多い。乱用といってもいいほどです。

特に話し言葉として使用されることが多く(断言を避けたい心理が働き、クッションの役割で使われる)、蔓延しているからだと思いますが、書き言葉としては違和感があります。

というのも、読み手の心理は“が”のあとは、それまでと逆のことを言うのでは、と思うので、混乱とまではいかないまでも、文章がわかりづらくなるのです。

なので、書き言葉のなかでの“が”は使わないようにするのが得策です。

 

では、2の文章はどう綴るか。

 

マラソン大会があった。中学時代の友だちと参加した。

マラソン大会があり、中学時代の友だちと参加した。

 

これでいいんです。

文章がだらだらしないで、引き締まりますし。

 

 

ただ、同じ書き言葉でもより話し言葉に近い場合は、そこまで厳密にしなくてもいい、というのが私の見解です。

たとえばウェブサイトだったりパンフレットだったり、きちんとしたものが求められる場合は、単純なつなぎとしての“が”は省く。その一方で、個人としてくだけて書いているブログでは、目立つ場合は削るにしても、そこまで気にしなくていい。

だって、カジュアルな場で日本語の使い方をあまり気にし過ぎると、ソツがなくって、平板でつまんない文章になっちゃうから。

 

 

うううう〜ん、文章を書くのに二の足を踏んでしまいそうですね。

でも、ちゃんと回避する方法があります。

まずは書いて、時間をおいてあとから見直すんです。

ricorice.hatenablog.com

だって、いちいち、こんなこと考えながら書いていたら、本来書きたいことに頭が回らなくなります。

なので、できれば一晩寝かせておくといいか、と(↓)。

ricorice.hatenablog.com

自分で客観的に見られない場合は、プロの力を借りるのも、“目からウロコ”満載で手ですよ。

 

 

修業で時間をムダにしなくてもいい

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10年ぐらい前だったか、テレビで安藤忠雄建築研究所に密着する番組がありました。

(私は、生き物としての安藤忠雄が大好きなのです!)

 

もともと建築に興味があり(今もですが)、そのときに思ったこと。

「自分が建築家、自分の名前で作品を世に問う建築家を目指すなら、有名な事務所では働かない道を選ぶだろう」。

安藤忠雄建築研究所がよくなかったとか、そういうことではまったくないのです。

 

安藤忠雄建築研究所でやっていることは、あくまで安藤忠雄の名前のもとに建築の仕事をする事務所。

建築事務所がどういうところかを知るためにはいいのかもしれませんが、安藤忠雄に間違いなく感化されるだろうし、へたしたら、というべきか、なまじ優秀なスタッフになったらそれこそ自立がむずかしくなる。

だったら、むしろ、新しくかつ小ぢんまりとしたところ(世間的には有名ではない)に行ってひととおり仕事の流れをつかんで、そのための期間と割り切って、早く独立するのがいいな、と。

いや、そもそも修業の必要はあるのだろうか?

とも思ったのです。

 

 

そう感じたことは、今、私のなかで加速度を増しています。

私の至近なところでいえば食。

たとえばフランス料理。

このシェフのメニューを継承したい!そして、いずれはその店でシェフをしたい!であればその店で修業する価値はおおいにあると思います。

でも、単にフランス料理、であれば、どうかな?

自分のなかで試行錯誤して、どうしても足りない部分を大御所のところに請うて補う、でいいんじゃないか、って気がしています。

 

それって従来の修業じゃない。

でも、そもそも従来の修業が必要なのかな?

いや否定しているわけじゃないですよ、本当に。

ただそれが絶対安全なわけではなく、むしろ危険をはらむようになったんじゃないかってこと。倣っているだけでは、どんどん取り残されていっちゃうんじゃないかな。

 

そして、これ忘れがちだと思うのですが、だからこそ外野の声など耳に入らないほどのめり込んで突き進む力(本人はそれを努力とは言わないかもしれませんが、前例のないなかでひとつひとつ積み重ねていく力、のようなもの)を持った人だけが上にいけるんだと思います。

 

凝り固まらず、ときに既存のものを壊しながら、時代の速度や動きに柔軟になるってことが、今の時代、とても大事な気がするんですよね〜。

自分もそうありたいし。

直接会ったりしないからこそ

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インターネット、メールやメッセンジャーのおかげで直接会うどころか、話をしなくても仕事ができるようになりました。

何でもないことで電話をしてきたり、資料を渡すとかでいちいち呼びつける人がいるけれど(マウンティングなのでしょう)、もうね、勘弁して欲しい!

メールやメッセンジャーの方が(言った/言わないの)間違いがないし、添付で済むのに出向く時間をやすやすと奪われる理不尽さ!といったら。

 

でも、だからこそ、なのですが、

メッセンジャーと違って、既読の確認ができないメールやりとりの場合、連絡はマメにしたいなぁ、と思うのです。

ひと言、「受け取りました!」でも、「明日連絡します!」でもいいから。

 

直接会わないからこそ、これがあると進捗がわかり安心します。

私の場合、プロジェクトを回すこともあるから、それぞれのスケジュールを確認した上で

「では○月○日(○)○時に○○に集合しましょう」

などと言う決定事項を回すことがあります。

すでに予定をきいてその上でスケジュールを組んだから、OKなのでしょうが、

レスがないと送っている方が大丈夫かな?となります。なので、確認メールをまた入れるという。。。

 

また、至急案件で急いで納品したとき。

なんのレスもよこさない人も少なくありません。

あとででいいので、ひとこと「ちゃんと受け取りました」があると、

急がせるときだけ一方的にさんざん連絡しておいて、なんだかなぁ、が回避されるわけです。

そして得てしてそういう人は、その後の

「あの案件、無事終わりました」の連絡もしてきません。

 

本人はまったく悪気がなく、忙しくってそれどころじゃ、なのでしょうが、

(でもね、忙しいはあなたの都合で、私の都合じゃない、んだけどね)

たったひと言あることで、気持ちよく仕事ができるし、

なによりその場にいないから進捗を確認できるのに、なぁ。

直接会ったり見たりしていないからこそ、ね。

 

自分も気をつけないといけないなぁと日々思っていることのひとつです。

たまには座学もいいもんです

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机に座って学習するタイプでない私。

なかなか自分からそういう機会を求めて、ってことがないので、案内をいただけると、

「たまにはこういうものに参加するか!」

といった気持ちになります。

 

そんなわけで、2月17日(金)

西日本シティ銀行、NCBリサーチ&コンサルティング、福岡県信用保証協会、日本政策金融公庫主催の

総合・経営支援セミナー「マーケティング思考に基づいた営業戦略とは!」に参加しました。

 

 

そう、マーケティング講座です。

普段自分が考えている/感じている/アドバイスしていることが言語化され、整理され、そうそう!と深く頷くわけですが(仕事柄、そうそう!でないと困る(笑))、こうして俯瞰で眺めると、時代の移り変わりを感じずにはいられません。

そしてその加速度はますます増すことでしょう。

 

そういうのに参加する、私にとっての一番のメリットは、

自分が今やっていることや考えていることを客観的に見られること。

こういうのって自分ひとりだと、なかなか相対的な視点を持てないから、むずかしい。

だからこそ、こういうところに参加する意義があるのです。

 

 

それにしても、

嗚呼、日々、考えて考えて考え抜く、の繰り返しだなぁ。